どうも、すこっちです。!(^^)!
古典と言いますとどこか難しいイメージがありますね。
20代や30代のうちは、トレンドごとに興味は沸くものの古典なんて学校の教科書レベルで止まったまんまという人がアタシを始めとしてほとんどなのではないでしょうか?
それでも若いうちは、なんとなく流すことが出来た。
それが齢50ともなると、時として知らないということが恥ずかしい場面に直面することもたまにある。てきとうにその場を流して「アタシって無知ですから」キャラを押し通してもいいんですが、その分年齢の重厚感が薄まってしまうデメリットもある。
やっぱ、それなりの年齢でそれなりの教養は身に着けておきたいもの。
前回、漫画版の「源氏物語」を読んだことは紹介しましたが、今回はまたまた漫画版の古典を読み終わりました。↓
吉田兼好の徒然草です。
以前も読んだことはあるんですけど、漫画版だと面白くって、頭に入りやすい。
なによりこの吉田さん、考え方が偏見に近い、偏り方をしているところもあるんですが、人生訓のような達観した発言も随所に散りばめられているのが、この徒然草の魅力でもあるんです。
今日はみなさんへのおすそ分けタイムとしまして、アタシが「この人、いいこと言ってるなあ」と感じたいくつかを紹介したいと思います。
1.第150段から
芸能を身に着けようとする者は気取ったり、格好つけたりしていてはいけない。
芸が上手く出来ないうちは人に隠れて稽古し、上手くなってから人前でやろうとする人は決して上手くはならないものだ。それとは逆に未熟なうちから人前に出て、上手な人の中に混じって、けなされようが、笑われようが恥ずかしいと思わずに平気な顔で熱心に稽古する人は上達するものである。
なるほどね、アタシら凡人はさ、人前で披露するレベルじゃないからそのレベルに達してからお披露目をしようとするけど、そういうのはよろしくないということなんだわね。笑われて、けなされてもとにかくやり続けることが大事ってことなのかな。
でも、こんなことも書いてある。
2.第151段より
50歳を過ぎて上手にならない芸ならば、あきらめるべきである。
だいたい50歳を過ぎたらすべての仕事を辞めて、ゆったりと暮らす方がいいのだ。
いやいや兼好さんよ、そりゃあ鎌倉時代の話でしょ!今の時代に当てはめるのは、厳しいんでないかい。まあ、芸事を止めるか続けるかは本人次第としても、50代で仕事を辞めてセミリタイヤ出来るなんて恵まれたセレブーな環境にある人は、ほんの一握りでしょ。(うらやましいなあ)
今や年金支給も65歳から段々上がっていって、70歳も時間の問題ではないかと言われてる。果たしてアラフィフ世代の老後に光はあるのか?
第168段より
一般に一芸に秀でている人が多くを語るのは、かえって信用を落とすものである。
語るときは「私にもそれ以上のことは分からないのだよ」と言っておくぐらいの方が良い。その方が権威者と思われて信頼もされるに違いない。
だいたいよく知りもしないくせに、得意顔で話す老人などはくどくて退屈なものだ。
いやあーごもっとも。おっしゃる通りです。これってあるあるだよね。何だか知らないけど、世の中には自分の知ってることを得意げにひけらかしたがる人の多いこと、多いこと。確かに年を重ねれば重ねるほど、その傾向は強いかも。気を付けたいものですね。
何段だか分からず
人は一番大事なことに励むべきで、2番3番のことにかまけてはいけない。
碁を打つ場合、一手も無駄にせず相手の先手を取って小利を捨てて大判に向かうようなものだ。
例えば3つの石を捨てて10の石を取ることはやさしいが、10の石を捨てて11の石を取ることは難しい。ひとつでも分がいいと思ったら、そっちの方に従うべきなのに、10になるとそれが惜しくなり、これも捨てずあれも取ろうと思う心に支配されて、結局あれも取れず、これも失うということになる。
一つのことを成就しようと思うならば、ほかのことを失敗することを惜しんではならないし嘆いてはいけない。物事はなかなか予定通りにはいかないものだ。だから、この世のことはすべからく定めがたく、また不確かなものであると考えていた方が真実であり、狂うことがない。
これね~、小者のアタシらにはなかなか出来ないのよ。ましてや10個を捨てて11個を取るなんて、捨て身の攻撃にはなかなか踏ん切りが付けられない。(>_<)
やっぱ古人の教えって、いいとこ付いてるなぁ。
みなさんも、何かに迷ったとき、兼好法師の教えを参考にして頂けたら、うれしい限りです。