どうも、すこっちです。(^o^)
今日と明日の2日間、アタシは放送大学の面接授業なのです。
土日連チャンで授業で缶詰。でも、自分で決めた修羅の道、是非に及ばずです。
でもね、今回の講義がまた面白そうな内容なのです。
「仙台城下町と商人の歴史」
待ってましたぁ!仙台城ガイドを務める身のアタシとしては、「学びたいことがそこにある」みたいな願ったり叶ったりのお題目、なのであります。
まあ、これならば受講していて「退屈虫」が疼き出すこともないだろうし、なによりガイドで使えそうなレアなネタを頂戴出来るかもしれないしね。
ということで、今日の授業は無事終了して帰ってきたわけですが、その授業の内容の中からこのブログを御覧の皆様にだけちょっとイイ話を”おすそ分けタイム”と行きたいと思います。
仙台市内に”田町通り”という通りが存在します。
愛宕上杉通りとぶつかる短い通りなんですが、実はこの周辺にはもともと”田町”という集落があり、田を潰して割り出された町なので、”田町”なんです。(超シンプルぅ)
この”田町”には我らが伊達政宗様と住民とのこんな深イイ話が残されている。
仙台城本丸築城の時、周辺の住民15歳から75歳の男性が普請に駆り出されることになりました。(う~ん、15歳はともかく75歳にはしんどいんでないかい?)
大事な大事なお城の建設の現場をなんと抜き打ちで、政宗様が見分(現場立会ね)をされたことがあったのですが、そこで早い時間から精力的に働いていたグループがいたんですね、それが政宗様の目に留まった。
お付きの茂庭石見守(もにわいわみのかみ)を通じて、政宗様が「あのバリバリ頑張って働いていてくれているのはどこの誰?」と聞いたところ、”田町”の住人だということを伝え聞いて、「あっぱれ!」と言ったかどうかは分かりませんが、その勤勉ぶりを認めて、ポケットマネーから三貫文を出して、「これで酒でも振る舞ってやってくれ」と。さらに、「あーついでに今日はお仕事休みにして、帰っていいから、明日からまた頑張って働いてね!」と粋な計らい。
これだけでは終わらない。さらにさらに”田町勤勉伝説”には続きがあるのです。
ちょうど田町のある場所は城下町の南の玄関口。奥州街道を経て、仙台城下に入ってきた旅人たちが勤勉で性格のいい人たちの街の風景を見たら、きっと好印象を与えるだろうと政宗様が見通してなのかどうかはわかりませんが、田町に紙の専売権(一町株)を与えるのです。(紙は田町のお店に行かないと買えないってことね)
世の中、両目が付いているのに部下の働きをじぇんじぇん見てくれていない上司が多い昨今。
見て欲しいところ、ちゃーんと”独眼竜”でも見ているのが我らが伊達政宗様だね。(^o^)
ちなみにこちらが、授業で頂いた参考資料
仙台に起こしの際は、この逸話を思い出して、「田町通り」を歩いてみるのも、オツかもよ。
(美味しいお店も多いのですよ。)