この時期に梅を愛でないでなんとする! | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^_^)

 

季節の移り変わりは意外と早いもので、東京辺りで桜の開花宣言が出始めると、あっという間に東北地方にも飛び火してきちゃいますもんね。

 

日本人にとって花見といえば=「桜」というイメージが幼き頃から刷り込まれてますんで、桜が咲いて、花見の名所が花見客で賑わって、桜が散ると共にフェードアウトするみたいな季節の風物詩というのが、一般ピープルの定番なんでしょう。

 

だけど、アタシはいつの頃からか、花見=桜という鉄板迎合主義に疑問を持ち始めていた。

仙台城のガイドをするようになって、歴史のことを調べるうちにあることを知った。

 

今となっては「お花見=桜」が当たり前になっていますが、実はお花見が生まれたとされる奈良時代は中国から伝わってきた「梅」のお花見が主流だった。 貴族たちは美しく、香り高い梅の鑑賞を楽しんでいたんだそうです。これは、決して桜が好まれていなかったわけではなく、当時の日本人にとっての桜は神聖な木として扱われていたからなのです。実際、「万葉集」には桜を詠んだ歌も残されており、古代神話以前から桜は神の宿る木として信仰の対象ともなっていたのであります。

 

しかし、平安時代に入ると梅と桜の立場が逆転します。

 

平安時代に入ると、貴族たちは次第に桜を春の花の代表格として愛でるようになります。これには、894年の遣唐使廃止が一つのきっかけになったとも考えられています。遣唐使廃止を機に日本人は、中国から伝来した梅ではなく、日本古来の桜に対して、より親しみを感じるようになったのかもしれません。桜の下で宴を開催している宮中の様子は、平安時代中期の名作「源氏物語」にも記されていて、平安時代前期に編まれた「古今和歌集」でも、春の歌として桜を詠んだ歌がとても多く残されています。当時の貴族たちにとって、桜が「春を象徴する花」としてイメージされるようになっていったことが伝わって来ます。

 

確かに時代のトレンドは「梅」から「桜」に移ったんでしょう。でも、なんとなーく梅の控えめで、可憐な咲き誇り方がアタシは好きなんです。紅梅があり白梅があり、目を和ませてくれますし、政宗様が異国から持ち帰った臥龍梅もある。それにね、梅は桜より咲くのが前ですから、桜前線の北上とともに世の中がお花見モード一直線になってしまうと、気を抜くと見そびれてしまう。つまり、桜の開花はなんも考えてなくても、周りが教えてくれるけど、梅は自分がそれなりに「観に行くぞ~」という臨戦態勢を整えておかないと、見逃して散ってしまうというリスクがある。なんかこういう「受動態」ではなくて、「能動態」的な梅見物って、味があるなあと思いません?

 

そんな梅フリークのすこっちが、宮城の梅の名所「仙台市農業園芸センター」に行ってまいりました。それでは、しばしの間、「梅」の花見をご堪能ください。

 

どうです?意外と見事なものでしょう!

 

ちなみに、梅の花言葉は、「上品」「高潔」「忍耐」「忠実」なんだそうです。梅の花の最盛期が2月とまだ寒さが厳しい時期なので、寒風が吹く中、凛と咲きほこる梅の姿から名付けられたんだとか。

 

では、ここで一句。

 

「仙台に あるじもどりて 梅見頃」

 

おかえりなさい、政宗様!