日本人選手につきまとう悲壮感はなぜ? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

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どうも、すこっちです。(^^♪

 

北京冬季オリンピックが始まりましたね。

 

オミクロンの感染爆発でそれどころではないとお思いの方もいらっしゃるでしょうが、それはそれ、これはこれ、割り切りの得意な日本人ですから、始まってしまえばご覧になっている方も多いことでしょう。

 

かく言うアタシもなんだかんだで結構テレビ観戦にご執心である。

 

スキーのジャンプの小林の金メダルには喜んだし、昨日のゆず様の8位にはモヤモヤしっ放し。

 

スマイルジャパンことアイスホッケー女子の頑張りにはワクワク・ドキドキが止まらないって感じです。

 

ただ、今回アタシが取り上げたいのが、高梨沙羅さん。

 

ジャンプ女子の第一人者で、前回五輪では銅メダルも取ったし、世界の舞台では何回も表彰台に昇っている。はたから見たら、もう十分なんじゃないの。そんなにメダル、メダルってマスコミがさ、プレッシャーとか掛けまくらなくってもいいんだろうし、疲れたんなら休めば、とも思う。

 

そこに来て今回のノーマルヒルでの4位に加えて、男女混合でのスーツ規定違反による失格。

本人はそうとう堪えているようで、コメントからも落ち込み度合いがハンパないことが伺える。

 

でね、ここから先はあくまでアタシの自論だよ。

 

まあ、マスコミはそれが仕事だからね、面白おかしく期待度MAXでそりゃあ記事は書くさ、テレビも報道するさ、そうしないと新聞も雑誌も売れないし、テレビも視聴率が稼げない。こればっかりはどうしようもない。

 

問題なのは、そのメダルの期待を一身に背負わされた選手たちだよ。

 

高梨選手をはじめ、東京五輪2020でも多くの選手がマスコミ報道以上のモンスター「SNS」と対峙しなければならない。しかも、不特定多数の匿名だからたちが悪い。かといって見なければいいのだろうが、スマホ全盛のこのご時世、そういう分けにもいかない。

 

金メダルを取った小林陵侑選手みたいに精神的にタフなお方は別格として、そうでない人は競技をやっている姿を見ていて、アタシは不思議と「悲壮感」だけがひしひしと伝わってきてしまう。

 

競技が終わって、残念な結果に終わって、直後のインタビューでそりゃあ、「五輪を楽しめました」とは口をそろえて優等生なコメントはしているよ。でも、本当のところはどうなんだい?と、本当に心の底から楽しんでいたって言えるのかい?と聞いていみたいんです。

 

モーグル女子だったかな、名前は忘れたんだけど、ある選手がこう言ってた。「この4年間オリンピックを目指して励んできたけど、正直全然楽しくなかった」って。アタシはこの選手が、よくぞそのコメントを絞り出したなと、涙が出そうになった。そうなんだよ、自分のためにやっている楽しいはずのその競技が、じぇんじぇん楽しくないものに変貌しているっていう矛盾。いったいこれは、どうして作り上げられてしまったの?なんで、そこまで追い詰められなきゃいけないの?

 

日本人は基本、真面目である。中国や韓国の選手のように図太い神経は持ち合わせていない人が多い。ましてや欧米の選手のように、喜びを爆発させて、彼氏・彼女と抱き合ったり、キスをするなんてことはまず、あり得ない。(そーゆーことは東洋人は好まないでしょうな)

 

控えめで、奥ゆかしいところがジャパンプレミアなんだとすれば、そんなところ欧米に学ばなくたっていいんです。ただね、モーグルやらスノボの競技で失敗しても、カメラの前では、「やっちゃった!」的な笑顔を振りまく欧米の選手の気持ちの切り替えの極意みたいなものはまねして欲しいのです。

 

いつまでも悲壮感のオーラばっかり身にまとっていたって、いいことなんてあるはずがない。

 

羽生選手もこれから競技をするほかの選手も、まずは「悲壮感」の衣を脱ぎ捨てて、フラットな気持ちで目の前の競技に臨んで欲しい。

 

お国のため、国民のため、ファンのためにやるんじゃない!

 

あくまで自分の内にある壁を乗り越えるために、そしてそれは、「苦痛」ではなく、「楽しい」OR「愉しい」が入っていてこそ、意味がある。

 

これからの選手の皆さんの表現する「楽しい」OR「愉しい」をすこっちは楽しみにしておりますよー。