仕事におけるさじ加減とたった一言への注意 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^_^)

 

アタシは異動が決まってから、今日も今日とて普段通りの仕事をしている分けなんですが、

 

電話で話す声のトーンも妙に高いし、仕事の先を見通す想像する感覚も高まっていて充実している気がする。

 

まあ、これは恐らく「こういう日々もあと少しで終わるんだ、限りある日を精一杯生きよう」的な定期試験がまもなく終わりそうな、マラソンの42.195キロメートルの40キロぐらいを走りきったあたりの心持ちということなのだろうか。

 

そんな一人スーパーサイヤ人なりきり気分のアタシが自分の仕事を引き継ぐ人たちの言動を見ていると、ふと物足りなさを感じることがある。それは、お客様と接するときの肌感覚。

 

長年お客を相手に商売や営業的な仕事をされている方ならご承知のことと思いますが、仕事には「ここまでは良いけど、これ以上はヤバいよ」というさじ加減というものが存在する。こちらはこちらで会社が不利益を被らないように振る舞おうとするし、お客様はお客様で自分の会社の立場を守ろうとする。

お互いが譲らなければ、交渉は破談、決裂一直線!となるわけだが、そうも行かない。

 

つまり、そこにはお客様の機嫌を損なわない程度に自分の会社の要望を提示して、全部とは言わないまでもいくらかでも有利な条件をぶんどってくることが求められる分けだ。

ところが、お客様も人間=感情の動物である。あんまし、一方的にこちら側の主張を前面に押し出したのでは、どんなに温厚な方であっても、頭に来て、腹を立てる場面もある。

 

求められることは、会話の中で「ここは押すタイミングだな!」と思えば押し、「あっ、これはちょっと今の発言にイラッと来たかな」と思えば、ここから先はブレーキだなと感じ取る能力なのである。

 

実は、アタシも以前に痛い思いをしたことがある。

 

それは、アタシが営業窓口として対工場の担当者とやり取りをしていたときのこと。彼とは会話をするうちにお互いに軽口を叩けるような良い関係になっていた。あるとき、その工場から出荷した貨物をうちの倉庫に保管するのに対して、「そんなに持って来られても、入りません」的なことをやんわりと伝えたつもりだった。決して露骨に断ったわけでは無い。

 

なのに、いつの間にか「すこっちが断った」という発言だけが一人歩きし、あれよあれよという間に工場の上層部から、その会社の営業のトップの耳にまで入ってしまった。プッツンしたそのトップは当然の如く、ウチの会社のトップに電話をし怒りまくる。そして、順を辿ってアタシが呼び出されて大目玉である。

 

「なんで、断ったんだ!」

 

「いえ、別に断ってはいませんよ」

 

「じゃあ、なんで先方はこんなにご立腹なんだ!」

 

「すみません、言葉足らずだったのかもしれません」

 

と、一つの発言を巡って上や下への大騒ぎ。結局はお客のゴリ押しを受け入れざるを得なくなったが、何とかその場は収まったが、アタシの「断った」→「アイツは断るやつだ」→「やる気が無い」というレッテルはしっかりと貼られてしまったのである。

 

それ以来、そういう「ヤバいよ、ヤバいよ」注意報には敏感になった。

 

いくら親しくなったからと言っても、心を許してはならない、発言はより慎重にということだ。だって、その相手が自分の発言をオブラートに包んで上司に伝えてくれるか、当たり前に生のまんま若しくはもっと否定的に伝えてしまうかは、正直分からない。なのであれば、自分が今置かれた状況をちゃんと認識し、この場合どういう発言ならベターなのかということを、意識しながら会話をすることが求められる。

 

そうした能力は経験を重ねていかないとなかなか身に付かない。

 

覚えようとして覚えられるものでも無い。スマホのアプリのようにインストールしたからすぐに使えるのとは分けが違う。

 

人と人とのコミュニケーションや痛い経験。それが積み重なって、血となり肉となる。

 

あぁ~、まさに「ローマは一日にして成らず」なのだよね。
 

さじ加減を誤れば、料理の味はとんでもないことになるんだからさ。