どうも、すこっちです。(^^ゞ
齢40~50を超えて来ると、あっちからもこっちからも同じような年齢の人たちから、年齢にかこつけた弱音のようなこだまが聞こえてくる。
「私も年なんで、物覚えが悪くなっちゃって」
「体がね~思うように言うことを聞かないんだよ、年かなぁ~」
「無理、無理!いくつだと思ってんの」
20代~30代に比べたら、確かに物覚えも悪くなってはいるだろう。
体が思い通りに動かないって事もある。
何かって言うと、年齢を無理な理由にしたい気持ちも分からんではない。
身体の能力的な部分にいわば経年劣化のような衰えが来るのは致し方ない。
しかし、年齢を重ねたという事実をまるで、「印籠」のように悪用してはいないだろうか?
つまり、それはどういうことかというと、あなたの心が「おじさん化」、「おばさん化」しているということだ。
ここで、有名なドイツ出身のアメリカの詩人 サミュエル・ウルマンの「青春」という詩を紹介しましょう。
心を穏やかにして、我慢してじっくりと読んでみてください。
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か
曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる
事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大そして
偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる
ところどころに難しい言い回しがあって、わかりづらいところもありますが、すこっち流にかみ砕いて表現すると、PASSION(情熱)が衰えなければ、還暦だろうが喜寿だろうが米寿だろうが、ティーンエイジャーだってことなんですよ。視力が衰えたとか、白髪が増えたとか、髪が薄くなったとか、腰が丸くなってきたとか、喉に餅がつっかえるようになったとか(これはマズいね)そういう身体的な老いを気持ちの老いにすり替えんなよ!ってことなんです。
これね、放っておいたらよ、「心のおじさん化」からあっという間に「心のお爺さん化」になっちゃうからね。そんでもって、さらに放置してたら「心のご臨終化」だよ。
そしてね、この「心の老化」に追い打ちを掛けるのが、「固定観念」と「先入観」という確証バイアス。
自分が長年こうして来たから。
長年の勘
長年の経験
以前も「確証バイアス」について書きましたが、
自分の中の内なる敵、その名は確証バイアス! | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ (ameblo.jp)
もちろん、ある程度は大事だよ。それは、あなたが今まで培ってきた貴重な財産。
でも、それに固執して、「固定観念」と「先入観」というマホトーン(封じ込める呪文)を自分に掛けたまんまでは、よろしくない。
そう、大事なことは程度問題。
自分の中のBASICは大事にしながら、好奇心や探究心や発見のドキドキ・ワクワクはキープする。
そうすれば、きっとサミュエル・ウルマン先生のおっしゃっていることに近づけるんだと、アタシは思う。
誰しも年は取りたくは無い。(>_<)
でも、年を重ねて悪いことばかりでも無い。(^_^)
年輪を重ねることで、今まで見えなかったもの、見えなかった世界が広がるってこともある。
だって、人生は"ADVENTURE"なのだから。
おじさん化ウィルス、おばさん化ウィルスに負けんなよ!諸君。健闘を祈る(^^ゞ
scotch0711のmy Pick