どうも、すこっちです。(^o^)
世の中、頭の固い人というのはいるものです。
会社で町内会でプライベートなコミュニティで、端から見たら「そんなこと、どーでもいいじゃん」と思えるようなことでも固執したり、こだわったりして自分の主張を曲げようとしない人。
これが、二十歳かそこらの若武者であるならば、「若いうちはそのぐらい血気盛んでないと」とか「君にもそのうち分かるよ」的な横綱相撲でがっぷりと受け止めているようで、悪い気はしないのだが、これが自分よりも遙かに年が上の大先輩だったりするとひじょうに対応に困ってしまう。(>_<)
「まったくもう、今の世の中頭を柔軟にしないと、生きていけないよ!」なんて、よっぽど親しい間柄でもなければ言えるわけが無い。気を遣い、その人の立場と意見を尊重して、結局結論は当たり障りの無い飛行場にソフトランディングをする。
どうしてこういうことが頻繁に起きるのか?
こういうことって、本当に回避できないものなのか?
世の中人の考えは十人十色。でも、そのお決まりの文句だけで片付けてしまっては、何の解決にも至らない。そんなことを考えながら、以前読んだ本に載っていたある単語がフッと降りてきた。
「確証バイアス」
あーあった、あった確かそんなワードが。そう思って、あらためてネットで検索してみると、こうある。
確証バイアスとは、自分が持っている先入観に対して、肯定的な意見を積極的に集めようとする、無意識の作用のことです。逆に、先入観に反する意見には、消極的な対応になります。
つまり、人は自分が信じたいものを信じるということです。
では、確証バイアスはなぜ生まれるのでしょうか?
それはズバリ脳が快を求めているからです。
つまり、脳に快を与える選択肢を選ぶこと。
それが「確証バイアス」の正体です。
なので、Aという先入観を持っていれば、他にB,Cという選択肢があったとしても、Aという選択肢を取りやすくなるのです。
なるほどね、そういやあ世の中はこれでもかっていうぐらい「確証バイアス」に囲まれている。
身近なところだと、「血液型占い」なんかがそうかな。
A型は神経質で几帳面、B型は自己中で情熱的でカッとなりやすい、AB型は二重人格で、O型はおっとりしていてマイペース。だいたい自然とこんな分析結果は誰の口からでも出てくる。
そーすると、A型の人がちょっと細かいことを言うと、「やだね~、A型は」みたいな方向に持っていきたくなる。逆にO型が細かいことを言い出すと、「O型なんだから、細かいこと言うなよ」みたいな方向に引っ張られる。
「一人っ子はマザコン」。決してそんなことは無いのだが、一人っ子が母親に優しくしているところをみると、「やっぱりな。」と無理矢理そういう風に結論づけようとする。そして、気に入っている男性がいたとしても、その1点で「マザコンは嫌!」と結論づけて、付き合う対象から外す女性もいるんだとか。
会議なんてその最たるモノだわね。あれって、どっか結論ありきの出来レース的な匂いがプンプンするものね。なんとなーくそっちの方向に結論を誘導して、強制着陸させるみたいなね。
結局のところ、アタシが導き出した結論はこうである。
人の思考や行動は結局、脳のわがままに支配されている。「確証バイアス」という避けて通れない意識の"コア"みたいなものが作用して、本当ならもっと柔軟に考えられるはずなのに、「これは、こうあるべきだ」とか、「これは、こうでなければいけない」といった誘導尋問に引っ掛かる。その度合いが大きい人が組織の中に多数いればいるほど、まとまる話もまとまらなくなる。
だったら、いっそのこと国民が「心理学」をもっと深掘りして学ぶ環境を与えてあげたらどうだろうか?
「確証バイアス」というものが存在することを認識し、それによって自分の意思がコントロールされてしまうこともある、だから思考が一定方向のベクトルに傾くことには注意が必要なんだという自覚があったら。
例えば、そういう意識をみなさんが持っていたとしたら、「あれっ、今の俺の考えって、ひょっとして確証バイアスに引っ張られてる?」なんて気付けたら、大きな失敗はしないのではないだろうか?
さすがにアタシのこのメッセージは、日本国民全員には伝えられないので、せめてこのブログをご覧のみなさま方だけには、この「確証バイアス」というものの存在と、それがどういうもんなのかというさわりだけでも覚えておいて欲しいんです。この先、役に立つと思うので、、、。(^^ゞ
「固定観念は悪、先入観は罪」
これは、故野村克也さんの名言です。
ノムさんはひょっとして、「確証バイアス」のことをご存じだったのかな?
そういやあ、コロナウィルスワクチン接種もひよっとして、「確証バイアス」の仕業?
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