仙台城ガイドの決まり文句が覆りました。 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^o^)

 

昨今の歴史上の新事実の発見の勢いがハンパない。

 

アタシらが学生時代、当たり前に教科書に載っていたようなことがことごとく否定され、新説や新発見されたことが史実として書き換えられている。

 

よく聞く話としては、「聖徳太子は実在しない説」とか、「足利尊氏のものと伝えられていた肖像画は高師直だった」とか、「源頼朝のものと伝えられていた肖像画は足利直義だった」とか、「西郷隆盛は写真が大嫌いで顔写真は合成だった」とまあ、次から次へと出てくる、出てくる。

 

アタシの仙台城ガイドにおいても決して対岸の火事では無い。(>_<)

 

伊達政宗様は「逸話のデパート」とも言われるぐらい、武勇伝には事欠かないのですが、実はこの伝わる話のほとんどが彼の死後○年後に書かれた書物であり、創作であるものも多かったりする。

 

なので、ガイドをする上に置いては、こうした新事実をしっかりとアップデートしておかないと、お客様から「それって、間違いなんじゃないですか?」と思わぬ指摘を受けることも想定される。

 

怖いね~、油断ならないねぇ~。

 

もうね、歴史の粗探しはほどほどにしてほしいもんだ。(-_-;)

 

と思っていたら、なんと今日の河北新報の朝刊に新たな事実が掲載されているでは無いですか!

 

それが、こちら↓

 

なになに、「宮城産 かつて低評価」。

 

あーそれなら知ってますよ、江戸時代は宮城米の美味しさ度ランキングは下の方だったのね。

まあ、それでもいいじゃん。そうは言っても、江戸で消費される1/3、2/3は宮城米だったんだから、米を売ったお金で仙台藩の懐事情も潤ったということなんでしょう。

 

と思ったら、この記事の下から二行目の真ん中より少し左、「江戸で消費される~」というところをよーく読んでみて頂きたい。(拡大してみた、ちょっと文脈は注意して読んでね)

 

 

 

 

なんと、「典拠となる資料の読み間違いから来た俗説で、実際に消費されている量や仙台藩領から運ばれている米を冷静に計算しても、シェアは1割程度と見るのが妥当である。」

 

えぇー、そうなの? 

 

今まで、仙台城を訪れたお客様にガイドとしてずーっと語ってきたよ、伝えてきたよ。

 

「江戸のお米のシェアは仙台藩がナンバーワンだったんだよって。」

 

「将軍もお侍も町民もみーんな、仙台米を喰って育ったんだよって。」

 

それが、実は読み間違いだったなんて。本当は1割程度だったなんて。

 

誰だー、読み間違ったヤツ!

 

これじゃあ、アベノミクスの経済成長を裏付けるイカサマ統計数値と変わんないじゃんか!

 

あーあ、これまで何人の人に「仙台米№1説」をお伝えしたんでしょ。(-_-;)

 

これまで間違った史実をお伝えした皆さん、大変申し訳ありませんでした。

 

どのぐらいの人に伝わるかは分かりませんが、この場をお借りして、ごめんなさい。m(_ _)m

 

でもね、救いなのがさ、この下りの続きんとこ「宮城の米が質・量ともに全国トップクラスになるのは、明治以降の生産者をはじめ関係者によるたゆまぬ努力のたまものである」って書いてあるじゃん。

 

「ササニシキ」に「ひとめぼれ」に「伊達正夢」他ETC。

 

今では、美味しい宮城米という史実に偽りは無い。

 

史実のアップデートは、アタシのメモリーを書き換えれば済むことだもんね。

 

宮城米、万歳!(^o^)