陰でこっそりダメダメポイントを付けるみたいな世の中 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^^ゞ

 

昨今のハラスメント一強時代。

 

パワハラにモラハラにセクハラにエイジハラスメント。もう、挙げたらキリが無いというか、次から次と新しいハラスメントが出てくるので、いい加減覚えられませんって。(>_<)

 

とにかく、なにかっつーと「○○ハラ」に取られるんじゃ無いかということで、仕事以外のことで神経を使うような世の中になってしまったよね。

 

思い起こせば、アタシらアラフィフ世代にとっては、学生時代に社会人に成り立ての頃。

 

学校の先生が生徒を叱るのは当たり前だった。廊下に立たされたり、チョークが飛んできたり、アタシが通っていた小学校ではある女の先生の往復ビンタが有名で、児童から恐れられていたものだ。

 

中学校に行ったら行ったで、どこの学校にもアノ時代、俗に「不良」と呼ばれるとっぽい連中は存在したのだが、そういう奴らに負けず劣らず負けん気の強い強面の先生というのもまた存在した。

アタシの通った某中学校では、○沢先生と○理先生というのが強面のツートップみたいな存在で、よく生徒同志で「○沢と○理がやり合ったらどっちが強いんだろうね。」みたいなくだらない話で盛り上がったりしていた。

 

あの頃は、先生のメリハリがハッキリしていた。

 

とにかく、ダメなものはダメなのである。

 

生徒がもっともらしい言い訳や御託を並べるような弁舌をぶったりしたら、それこそ倍返し!火に油である。生徒も次第にそれが分かっていって、従うようになる。力でねじ伏せるようなやり方で、今だったら決して褒められる正攻法ではないんだけれども、「悪いことをした=ハー(息を吹きかけるヤツ)げんこつ」という古式ゆかしき方程式が浸透することで、学校の秩序というか、学校の尊厳が守られていたようにアタシは思う。

 

アタシが社会人になったのは平成3年だが、社会人になってからも、そういう「げんこつ理論」はまだ残っていた。いくら社員として採用され、お金をもらう立場になったとはいっても、「半人前でまだ仕事もろくに出来ないくせに」的な見方をされていたような空気感は少なからずあったし、一生懸命先生役の先輩の教えに従うことで、日々成長していったような気がしています。

 

あの頃の先輩は厳しかった。もう、なんとなくビビっていた。だから、言うことを聞いていたと言うのも確かにある。ある意味時代と言えば、時代だったのかなぁ。

 

それに引き換え、現代に立ち返ってみるってえと、とにかく先生が上司が注意をしない!小言を言わない。なので、新入社員を始めとした若手にじぇんじぇん余計なプレッシャーが掛からない。

今時のZ世代及びY世代がデジタル社会の免疫が出来ていて、仮に優れた人財であるとしても、人間社会で暮らす以上、そして会社員としてお給料をもらって仕事をする以上、最低限の「やっていいことと悪いこと」、「是々非々」というボーダーラインを死守するように上司は務めなければならないとアタシは思う。

 

なのに、注意をしない。気付いているのか、いないのか?見ても見ぬ振り、見ても見過ごす。「あーそういう残念な人なのねー」と思っていたら、陰で内申点のような評価はちゃーんとダメダメポイントを積み上げているっていうね。

 

なんか不健全。(-_-;)

 

だったら、その場で言ったらいいじゃん!注意したらいいじゃん。その場その場で言われなきゃ、気付かないヤツは一生気付かないんだよって。そういう意識を放棄してしまうんだったら、そもそも管理職とか上司っていう存在は、何なんでしょうね?もう、メルカリにでも出品してしまったら?(買い手が付くのか?)

 

確かに昔のような「げんこつ理論」が通らない世の中ではある。

 

しかし、鞭を入れられた競走馬がスピードアップするように、人間も叱咤されることで、心の浮き沈みを繰り返し、ステップアップしていくもんなんじゃないでしょうかね。

 

平々凡々と日々日常を過ごし、何の浮き沈みも感じないで30歳、40歳を迎えたんだとしたら、これほど恐ろしい人生はない!とアタシは思う。

 

もう、時計の針を逆回転させるのは難しいのかもしれないけれど、そういうピリッと感って、必要悪だったんじゃないのかなぁと感じる、今日この頃です。