お風呂をかき混ぜるという行為が今は死語? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^o^)

 

以前ラジオでパーソナリティーがお風呂のお湯が上と下で温度が違うという話をしたら、若いリスナーから、「お風呂の温度が違うってどういうことなんですか?」というジェネレーションギャップ発言が飛び出したというようなことを取り上げていた。

 

ショック(>_<) ショック(>_<) も一つオマケにショック(>_<)。

 

そうなのである。アタシらアラフィフ世代からしたら、「そんなの当たり前だろうが!」と突っ込みを入れたくなるような発言だが、Z世代にとっては、お風呂はまんべんなく温まっていて、温度保温も保温も出来るんだから、温度は均一なのが当たり前の世界なのである。

 

今はどこの家庭もオール電化でエコキュートによる深夜電力でお湯を沸かすタイプ(うちはこれ)か、

ガス給湯か灯油給湯が多いんですかね。いずれにしろ、昔のように風呂釜の脇に釜が付いていて、そこから暖かい空気が水に混ざっていって、徐々に沸いていくなんて風呂釜はめっきり減ったんでしょう。

 

昔の子供は親の言い付けをよく守って、家の手伝いもよくやっていた。お風呂を焚くというのも、手伝いというよりも日課として平然とやっていた。そこに、「なんでこんなこと」というやらされ感は全然感じなかったように思う。なぜなら、そこには「お風呂を焚かなきゃ、入れない」という必然性があったから。

 

昨今の世の中というのは便利になり、生活は豊かになったのかもしれませんが、そういう不便というか必然があったお陰で、子供は親に対して従順であったり、家事を手伝うことに抵抗感を抱かなかったりしてきたことで、ティーンエイジャーの時に本来身に付けてくるべき辛抱強さや素直さを自然とインストール出来てきたような気がします。

 

それと比べると、今はなんなんでしょう。(-_-;)

 

あんまりと言えば、あんまりな世の中。

 

ある意味、Z世代は先の述べたような不便さから生じる経験の蓄積をやって来ていない。

世の中にモノはあふれ、生まれた時からデジタルツールに囲まれた生活環境。

それはそれで、世の流れと言えばその通りであり、Z世代が望んでこういう環境になった分けではないのだが、親にとっては、不便さという必然性を強要できない分、対応が難しい。

 

昔と違って、放っておいてもある程度オートマチックに子供は育つが、デジタルツールを預けて、心も体もデジタルの虜になってしまってからでは、これほど軌道修正が厄介なものはない。(>_<)

 

お風呂を焚くという行為から、未来のニッポンを見つめ直してみたすこっちさんでした。