どうも、すこっちです。!(^^)!
昔、読んでいた「ハイスクール奇面組」という漫画があった。
妙にツボにはまり、単行本を続けて買いそろえ、前作の「3年奇面組」にも手を伸ばしたぐらいにして、
夢中になっていた。今思えば、馬鹿馬鹿しい話の連続なのだが、当時の私にはウケていたのだ。
正直、アタシが人生を振り返って漫画の単行本をまともにそろえたのは、「どらえもん」とこの「鬼面組シリーズ」ぐらいだったように思う。
そのハイスクール奇面組の一堂零クンが作品の中で、こんなことを言ったのを今でも覚えている。
それが、「親切心の逆効果」
例えば人が一人すれ違えるかどうかという狭い道を自分が歩いていたとする。
そうすると向こう側から誰かが歩いてきた。自分は親切心から相手を通してあげようと思って、道を譲るのだが、相手も私を通してあげようとして道を空けようとする。
お互いがお互いのことを思って、絵に描いたような譲り合いの精神。
しかし、この行為が裏目に出る。
お互いが道を譲ろうと気を利かせるのだが、結果的に相手を通せんぼする。
ちょうど、バスケットボールのマンツーマンのディフェンスをするような感じ。
しかも、この通せんぼが2度、3度と繰り返されたのちに、ようやく通れるようになる。
世の中にはこうした「親切心の逆効果」な場面が結構ある。
例えばこれは、アタシが最近そのことに気付いてやり始めたこと。
デスクワークが主なすこっちさん。なので、メールは数限りなく打つんです。
そんなメールのやり取りの中で、報告やお知らせ、連絡といった内容のメールを打つことがある。
表題に「○月○日(水)会議開催のお知らせ」というふうなね。
そうした時に、連休が絡んだり、自分のうっかりぼんやりなどで、伝えるべき○月○日は合っているんだけど、曜日を間違えてメールをしてしまうときがある。
自分としては「月日だけよりは、曜日が入っていた方が親切だよなぁ」という心遣いなのよ。
相手のことを思うが故に、わざわざカッコ書きで曜日まで入れてあげる。
でも、それが間違っていた!
たかが、曜日。されど、曜日。
「別にいいじゃん、それくらい流してよ~」との思いとはうらはらに、だいたいこういう展開になる。
「すこっちさん、曜日が間違ってるんじゃないですか?」
「すこっちさん、これさー月日が間違ってんの?曜日が間違ってんの?どっちなの?」
こんな返信メールが全員返信で返ってくる。
なにも曜日の間違いごときで全員に恥をさらして、公開処刑かよ!と思うのだが、そもそも間違いを犯したのはアタシ。それに対する反論の余地は無い。
「大変失礼しました、曜日が間違っておりましたので訂正のメールを流します。」
って、いるのかねぇこのメール。でも、お偉いさんはこんな些細なミスも許してはくれない。
間違いは素直に認めて、きっちりと修正してコンプリートしておかないと後々面倒である。
でね、もーアタシはいい加減こんなやり取りが嫌になった。
なので、月日のみにして、「曜日を入れるのをやめた!」
そうするとね、曜日を入れるのをやめたからといって、「おい、なんで曜日が入っていねえんだ!」というお叱りを頂戴したことは今のところ、ない。
仮にメールを受け取った人の中に「すこっちには曜日を入れるぐらいの心遣いが足りないよな。」と思っておられる人がいるんだったら、まあ勝手に思ってもらって構わんよ、暇人は好きなだけ妄想しといてくださいな。
そして、不思議なものでね曜日が入っていないと、人間は不安になるんだろうか?一応カレンダーに目をやるようになるんです。そして、その時にちゃーんと曜日も確認するし、頭に入るのよ。
つまりね、今まで過保護だったってことなんじゃあないの?と思ってしまう。
自分が良かれと思ってやったことで、間違えて、間違いを指摘されて嫌な思いをする。
みなさんはそんな経験ってありませんか?
「親切心の逆効果」。いつの間にか通せんぼをしてしまって、相手を怒らせる、惑わせる。
なんか釈然としないよね、それって。
物事にフォーカスしてよくよく考えてみると、今まで当たり前にやっていたことが、実は削っても誰も困らないし支障も無い。単なる自己満足の過剰サービスだったということって、あるんじゃあないでしょうか?
そういうところを削っていくことが、真の業務改善になるんじゃないのかな?と感じた次第です。
あーあ、メールに月日を入れたら自動的に曜日まで出てくる変換機能があればいいのにね。(^o^)
scotch0711のmy Pick