独裁者の最期は意外と悲しいものだったりしてね | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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どうも、すこっちです。(^o^)

 

人類の歴史において、これまで数々の独裁者と呼ばれる方がおりましたな。

 

日本で言うたら、古くは蘇我馬子・蝦夷・入鹿の3世代とか天智天皇とか、藤原道長に平清盛ですか。

足利義教っていう恐怖の将軍もいたねぇ、あとは信長に秀吉かな。

 

西洋も暴君ネロを始めとする独裁者は数多くおりましたが、恐らく人類の歴史において一番多くの人を粛正して来たツートップは間違いなく、スターリンと毛沢東でしょう。

 

誰もが自分にひざまづき、命令には絶対服従。YESという選択肢しか許されない。

 

まさに天下人ってことなんでしょうけど、それもそれで果たして充実していたのでしょうか?

 

自分にだって思慮が足りないところはある分けで、そういうところを補ってもらって政(まつりごと)というのは、うまーくやっていけるような気がするんですけどね。

 

さて、前述したツートップのうちの一人のスターリン。

 

ソビエト連邦のトップとして君臨し、文句なしの独裁者としての頂点を極めていた彼ですが、どうやら人生の最期は意外な結末だったようです。

 

以下、日経新聞からの引用です↓

 

独裁者の最期は、こうなるのか。約30年、旧ソ連の指導者だったスターリンの新しい伝記の描写に、不謹慎ながら一幕の喜劇のようだと感じた。1953年3月1日。側近との宴会が終わり早朝に居住区へ戻るが、夕方になっても動きがない。護衛官は不安を募らせた。

▼しかし、様子を見に行き叱責され処分を受けるのも怖い。結局、郵便を届ける名目で開錠したのが夜9時。あるじは食堂で倒れ、いびきをかき、失禁もしているようだ。早速、フルシチョフら指導部が招集される。が、彼らも何かを決め責任を負うのを嫌がり「眠っている」「空騒ぎ」と結論づけ帰宅してしまったという。

▼医師が呼ばれたのは2日朝。病は重く、5日夜に死亡した。強い疑心から長年、恐怖政治を敷いたトップ。腹心からさえ正常な判断力や哀れみの心が奪われたとみえる。自主性の欠けた行動様式がはびこり活力を失ったソ連は、根治せず崩壊した。30年前のことだ。だが、かのスタイルの焼き直しやら亜種は今も見られる。

 

さて、みなさんはこのスターリンの最期の話をどう思いましたか?

 

死ぬかもしれないぐらい体調が悪いのに、フツーだったら周りの気付いた人が心配して、手を差し伸べてあげるべき場面なのに、それをやったら逆に突っ込まれるのと思って、見なかったこと、気付かなかったことにする。気付いたときには、時すでに遅しっていうね、、、。(-_-;)

 

まあ、でも気持ちは分かるよ。徳川綱吉が亡くなった時は、江戸中でフェスティバル&カーニバルだったらしいし、スターリンが亡くなったことで、ホッと胸をなで下ろしていた人もいたんだとアタシは思う。

 

イソップ童話に「北風と太陽」という話がありますな。

 

強引に旅人の上着を剥ぎ取ろうとした北風は結局失敗して、ホカホカと暖めた太陽がミッションをコンプリートしたって話ね。これなんかがいい例だよね。そりゃあね、パワハラ圧力は誰だって怖いし、挙げ句の果て殺されるって思えば、相手のいうことは聞きますよ。でもね、そんな独裁者の心の中に1割でもいいから、相手を思いやる心というものが無ければ、身を滅ぼすってことなんだよね。

 

スターリンの心の中には、自分が粛正という名の下に大量虐殺をした人たちのことなんて、これっぽちも考えてはいなかったんではないのかな。(>_<)

 

まあ、機会がありましたらスターリンと毛沢東のことについて掘り下げてみても面白いかもです。!(^^)!