こんな時だから、後藤新平の言葉に耳を傾けてみよう | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
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どうも、すこっちです。(^o^)

 

5/14(木)に「緊急事態宣言」が39県で解除されました。

 

ふと気が付けば、世界に誇れる日本人の「自制心」という伝家の宝刀におんぶに抱っこだった名ばかりの「緊急事態宣言」。この間、政府は都市間の移動を強制的に封鎖する分けでもなく、会社への電車通勤も今まで通り、国会でさんざん突っ込まれてもお得意のかみ合わない回答で時間稼ぎ。挙げ句の果ては、たった2枚のマスクと10万円の給付金も国民全員に届けることも出来ず、(マスクは不良品に重複配達、10万円は申請用紙も来ないし問い合わせで役所が3密ってコントですか?)ひょっとしてどちらも届くのはみんながコロナのことなんか忘れた頃かもしれませんな。(-_-;)

 

まあ、そうは言っても感染が本当に沈静化した分けではありませんので、みなさんもう少しだけホイミと薬草で地道な戦いを続けていきましょう!

 

さて、今日ラジオを聞いていたら毒蝮三太夫さんが後藤新平の言葉として、大変いい言葉を紹介してくれてました。早速アタシもネットで調べたら、ウンウン納得!なので、皆さんにも紹介したいと思います。

 

その前に後藤新平を知らない人のためにちょっとだけ彼のプロフィールを。

 

この後藤新平さんって実は今のトレンド県、岩手県の出身なのです。(1857~1929)

でも生まれが安政4年なので、その時はまだれっきとした仙台藩出身ってことになりますよ。(^_^)

以前ブログにも書いたことのある斉藤実さんと共に認められて、15歳で上京する。

その後はお医者さんになるんだけど、優秀な人は周りが放っておかない。

軍医を契機に政治家に転身し、南満州鉄道初代総裁、拓殖大学学長、内務大臣や外務大臣、台湾総督、東京市長なども歴任する。台湾総督の時には街作りに尽力し、今でも台湾の人たちは彼に敬意を評して銅像が建っているし、東京市長の時には関東大震災後の復興の陣頭指揮を執ったのも彼だった。

(ちなみに、空襲で焼け野原になった仙台を立て直した当時の市長岡崎栄松は彼の弟子)

 

こんな彼が残した言葉が「自治三訣」(じちさんけつ)と言われるものです。

 

「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう」

 

分かり易く言うと、こんな感じ

 

①人に頼ろうとする気持ちを抑えて、自分の身は自分で守りましょう

 

②困ったときはお互いさま、助け合いましょう

 

③そこに損得勘定を求めるのはやめましょう

 

これねー、今のコロナ禍の状況を戒める言葉としてはズバッと内角高めをえぐってるね。。

 

こういう精神が脈々と受け継がれて来ていれば、他県ナンバーの車に嫌がらせをしたり、医療従事者やコロナ感染者とその家族をばい菌扱いしたりっていう、醜いバッシングなんて起きないはず。つくづく思うのは戦前・戦中の人たちの寛容な人間性には本当に敬意を評したい。

 

戦後、日本という国がどんどんとアメリカナイズされ、自由の国の模倣だけが先行し、大事な大事な心の教育、道徳心の熟成というものが置き去りにされてきたように思えてならない。

 

最後に後藤新平が亡くなる前に残した言葉を紹介します。

 

「金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。」

 

ノムさんの言葉かと思ってたら、出所は後藤新平だったんだね。

 

ちなみに、後藤新平が東京市長を務めていたときのお給料は全額東京市に寄付していたんだそうですよ。たしか、「わらじ村長」と呼ばれた宮城県の旧鹿島台町の鎌田三之助も無給だったような。残念ながら、私腹を肥やす懐の温かい政治家しかアタシは知らない、、、。(-_-;)