どうも、すこっちです。!(^^)!
うちのカミさんは合理主義者である。
基本的に無駄なことはやりたくない。
出来ることなら、物事を常に合理的に、使えるショートカットは使えるだけ使って物事を片付けたいと思っている。
お得なことも好きだ。割引やら限定の情報には吸い寄せられるように反応する。
自分がひいきにしているものにしか興味を示さないし、一旦ダメ出しを決めたタレントや有名人に対しては、ことごとく自分の世界から永久追放である。(アタシも永久追放されないようにしないと、、、。)
どうやら、こうした傾向はカミさんだけではなく、女性に多いようだ。
女性は無駄なこと、得をしないことが許せない。耐えられない性分なのかもしれない。
でもね、世の中には「なんでこんなことしているの?」とか、「こんなの無駄じゃ無いの?」と周りの人が思うようなことを真面目に続けている人っているものだ。それは、得てして男性諸君に多いような気がする。
そんなアタシもよくカミさんに、こんなツッコミを入れられる。
「ガイドボランティアなんて、仕事以外のプライベートの時間を使ってよくやるねぇ~」。
「まぁた、同じような本を買ってきたの?それいつ読むの?」
「寄り道しないで帰って来たら?時間の無駄でしょう」
「また、そんなつまんない物を買ってきて、本当に使うの?お金の無駄じゃ無いの?」
世の「カミさん族」には男の美学というか、哲学というものが理解出来ないらしい。(-_-;)
世の中には無用の「要」というものが存在するである。
はたから見ると、一見無駄だと思えることに実はとっても重要な意味があるのである
それでは、さっきのツッコミに一つ一つ反論をしていくとしますか。
「ガイドボランティアなんて、仕事以外のプライベートの時間を使ってよくやるねぇ~」。
→あなたには何も分かっていない。アタシが仙台城のガイドボランティアを始めなければ、伊達政宗や仙台城に関する興味や好奇心も、自主的に始めた歴史サークル「仙台歴史探訪会」での経験も、出会った多くの人たちとの思い出やつながりも、このブログも、そして「すこっち」の存在も無かったのである。今のすこっちを形作ることが出来たのは、1にも2にもガイドボランティアのお陰なのである。確かに大変なことはいっぱいある。でも、それ以上に得られた収穫は大きいとアタシは思っている。
これを定年後にやらずに、現役世代から能動的に関わることに大きな意味があるんです。
「まぁた、同じような本を買ってきたの?それいつ読むの?」
→「気になった本は取りあえず手元に置いておけ」これが最近のアタシの口癖だ。仮にしばらく「積ん読」になったとしても、読む気が起きたときに読めることは確かだ。図書館の予約本なんて、いつ順番が回ってくるか、分かったもんじゃない。読んだ内容が心に響いて、その後の自分の考え方や行動に変化を起こすことに繋がれば、これに勝る宝はないのだよって。
「寄り道しないで帰って来たら?時間の無駄でしょう」
→あーあ、そんなの人生を損しています。寄り道にこそ人生の宝物がたくさん隠されているというのに。
「へえ~こんなところに、こんなオシャレなカフェがあるんだ」と見つけるなり、早速立ち寄ってみたり、
「なるほど、この道はここに繋がっているのね」と車で走ったことの無い道を走ってみたり、道端に咲いている小さな花に心を奪われて、うっとりしてみたり、それを写メしてみたりと、寄り道は発見と気付きの宝庫である。さてさて、これを無駄というのかな?
「また、そんなつまんない物を買ってきて、本当に使うの?お金の無駄じゃ無いの?」
男は新しい物、変わった物への好奇心を無くしてしまったんだったら、「男」は廃業をした方がいいとアタシは思っている。だってそうでしょう!「へぇ~こんなのが出たんだ」とか、「なるほど、これって面白そうだなあ」と気になって、お財布と相談して可能であれば、それに飛びつく。そこで、それが本当に役に立てばそれで御の字だし、仮に役に立たなかったとしても、「あーこういうのはダメなんだな」と失敗という経験則からの学びは必ずあるものだ。
やらずに、買わずに後悔するんなら、やって、買って後悔をした方がなんとなく気持ちもすっきりするじゃあないですか!好きな人への告白だって、しなかったらずーっとモヤッとボールのまんまなんだよって。
野村克也さんも言っていたよ、「失敗」と書いて「成長」と読むってね。
そう、無用の「要」とは自分を成長させてくれる「元気玉」なのです。
世の中のみなさーん、世の中のBOOK、世の中の「カミさん族」につまんないもの呼ばわりされているあんな物、こんな物のみんなー、オラに元気を分けてくれ~!(^o^)
scotch0711のmy Pick