「楽天イーグルスの選手の背番号で振り返る「政宗事件簿 天正編」今日は「5」 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^o^)

 

プロ野球は交流戦が始まりましたね。

 

今年は今まで舐められっ放しのセントラルリーグが、6チームで決起集会でも開いたんでしょうか?っていうぐらいに目覚ましい勝ちっぷりを見せつけてくれちゃっている。

 

今日は朝からカミさんに、「今日からヤクルト戦だから、ヤクルトを1ダースも買っておいてよ。」と注文を付けたら、夕方帰ってみたら、ちゃーんと購入されていた。夕食の前にゴクリとヤクルトを一気飲み!

これで験担ぎはバッチリかと序盤は思っていたんですが、まんまとひっくり返されNOWな状況。(-_-;)

 

気を取り直して行きましょうかね、はい今日は背番号「5」茂木栄五郎選手です。

 

茂木栄五郎(もぎ えいごろう)、1994年2月14日生まれ 27歳 )東京都小金井市出身

171センチ 75キロ 右投げ右打ち 内野手 2015年ドラフト3位 推定年俸7,400万円 主将

 

フルスイングにパンチ力のある打撃で、常に元気者のイメージがある茂木。守備力にも定評がありまして、小深田の台頭でショートのレギュラーポジションは明け渡した感がありますが、サードでも鋭いゴロに果敢に飛び込む姿は、さすがは主将!と言わせるだけのものがあります。

 

ただねー電池が切れやすいのよね。171センチってことは、アタシとそんなに身長が変わんない。野球選手としては小柄な方だよね。それでフルスイングを連発するもんだから、シーズン始めは絶好調で手が付けられなかったのに、突然のセミリタイア病。あの時はファンの誰もが「? ? ?」だったよ。

復帰後の打撃も振るわなかったし、でもようやく息を吹き返してきたってところかな。

 

彼には頼むから、1シーズンを通してチームに貢献して欲しい。楽天は岸にしても、茂木にしても、途中離脱が目立ち過ぎる。昔の選手はさ、良いか悪いかは別にして、骨折していても試合に出場していたからね。「あれ?なんで今日は茂木が出てないの?」ってファンに思われているうちが華なんですから、頼みますよ!

 

さて、なんでしたっけか?あーそうそう、天正5年(1577年)でしたね。

 

政宗様は御年11歳になられました。

 

この年の11月、梵天丸という幼名を卒業され、元服し「伊達藤次郎政宗」と名乗ることになります。

ご存じの方も多いかと思いますが、実は伊達家に政宗って二人いるんです。初代は室町時代に伊達家を大きく発展させた九代の政宗様、そして、私たちがよく知る政宗様は十七代になります。

つまりは、この「伊達家中興の祖」と呼ばれた大膳大夫政宗のように立派な武将になって、もっともっと伊達家を繁栄させて欲しいという輝宗公の期待が込められていたんですね。

 

まあ、見事に名前負けしないで陸奥守、仙台藩祖となったんですから十分でしょ。

 

いよいよ、ここから天正年間における政宗青春期の始まり、始まりと相成る分けです。

 

さて、畿内・西国に目を向けてみますと、相変わらずの信長包囲網。今度は石山本願寺との抗争に明け暮れる信長様は、2月に本願寺の補給源である雑賀衆へと攻め込むも、これまた泥沼状態。

9月23日には手取川の戦いで柴田勝家の軍が上杉謙信にコテンパンにやられて1,000以上の死傷者と溺死者を出したよ。そうこうしているうちに、今度は松永久秀が謀反!安土城のモデルとも、歴史上初の天守閣を備えた城とも言われる信貴山城に久秀親子が籠城し、信長に抵抗。石山本願寺からの加賀鉄砲隊200名という援軍を引き連れた久秀の右腕であった森好久がまさかの謀反返し!リーサルウェポンを連れた森さんは信長軍の筒井順慶チームに合流し、松永親子に反旗を翻す。

 

かくして、10月10日体育の日(?)松永久秀は平蜘蛛と共に爆死したと後の世に語られてきましたが、最近の研究ではどうやらそうではないみたいですね。

 

11月20日には信長様が右大臣に任官するよ。

 

こうして、信長ストーリーは後半へと続くのでありました~。m(_ _)m

 

次回は「6」です、そうあの人ですよ。