どうも、すこっちです。(^^ゞ
全世界をコロナウィルスという暗黒の闇が覆い尽くしている。
この闇の向こうの光はいつになったら見えるのだろうか。
私たちが住む日本にも同じ闇はある。
なのに、国のトップは世界中からアスリートを集めて「世界的大運動会&大球技大会」を開こうとしている。海外から来る人、海外に行く人を水際で止める分けでも無く、逆に海外からウェルカム。そして、国民の誰もが感染拡大の危険性を危惧しているのに、見て見ぬふり。
開催するのは別に俺のせいじゃない。だって、私が就任する前のマリオの格好をした総理大臣の時に決まっていたことだし、前の人が投げ出した政権を自分が引き継いだだけだもん。貧乏くじを引き受けてるんだから、逆に感謝して欲しいよ、まったく、もう。くらいの気持ちなんだろう。
今の天皇陛下が客観的な視点で世の中を見ることが出来る人物なのだとしたら、自分の代になって、元号が変わって、なんという混沌とした世の中になってしまったんだろうと、さぞお嘆きのことだろう。
いったい、なにが正義でなにが悪なのか?
そんな基本的なことさえも曖昧になってしまうような、この令和という時代。
世の中の人々は口をそろえて、こう言う。
「今はそういう時代じゃないから」
「時代は変わっているんだって」
「そういうの、昭和だから」ってね。
(昭和の香りをなめんなよ!)
合理主義至上主義、経済最優先の世の中における常套句だ。
でも、それは大きな勘違いであり、誤認である。
いくら時代が変わっても、科学が進歩しても、便利になっても、変わらないことってあるはず。
正義、誠実、信頼、信用、至誠、純真、清潔、清楚。そうした「さ行」で始まる心の純粋さは、いつの時代であっても、超プレミアな最上級のものでなくてはならない。
正しいことをした人が正当な評価を受け、悪いことをした人が懲らしめられる。
桃太郎のおとぎ話ぐらいベタな勧善懲悪だけれども、人類がとことんまで追い詰められた時に、本当に味方になってくれるのは、口先や上辺だけの「アリバイ守備」をする人じゃあなく、汗臭く、泥臭く、気持ちに寄り添って、一緒に行動をしてくれる人なんだとアタシは思う。
そう思う人たちがもっともっと増えて、日本中、いや世界中を覆い尽くすようになったら、
きっと、コロナの闇が晴れて、希望の光が見えてくるはずなんですけどね。
私たちに今出来ること、それは愚直に小さいことをやり続けること。
「雨垂れ石を穿つ」この言葉に勝る言葉は無いわけですから。
佃航平が常に言っていたでしょう、「正義は我にあり」ってね。それを信じましょう!(^o^)