どうも、すこっちです。(^^ゞ
4月である。
4月と言えば、年度始め。学生は新入学、会社員は新入社員としての新たな一歩を踏み出す大切な時期でもある。
そうなると当然付いて回るのが、学校だったら校長先生だったり、担任教師。会社だったら、社長だったり、所属部所の部長や支店長がみなさんの前でする、あいさつや訓示である。
ところが、このあいさつや訓示。いつ、どこで聞いても決まり切った予定調和なのよねー。相変わらず使い古されたフレーズを、何の疑問も持つこと無く、理路整然と使い続けられている現実。聞くところによると、学校では校長や教頭用にあいさつの教科書みたいなものがあって、それにそってあいさつをすることが義務づけられているんだか、半ばパワハラなんだかよく分かんないけど、そういうことらしい。
問題発言をして、減点をされたくない学校関係者の長はともかくとして、会社なんかはもう少しなんとかなんないのかなぁと思わずにはいられない。
だってさ、ちょっと気が緩んだら睡魔が襲ってくるよ、みたいな口上ですよ!つまり、スピーチに強弱が無い一本調子。それでいて、話の内容には大した中身なんて無い。当たり障りが無く、聞いている方もなんとなく耳障りにはならなくて、カチンとくることもムッとくることもない。でも、イコール心に響くものも何も無い。
いったいさ、あなたは自分が責任ある立場の長として、このタイミングで右も左も分からない新入りに、なにを伝えたいと思ったの?なにを訴えたかったの?なにを感じ取って欲しかったの?っていうか、そもそもそういう伝えたい想いなんて、果たしてあったのかしら?ただ単に、立場上何かを話さないと行けない場が用意されているから、お茶を濁すような「取りあえずビール」的なセリフで固めて、チャンチャンで終わらせただけなんじゃないの? 図星でしょ!
もっとさー、新入りにね、「他のことは忘れてもいいからこれだけは覚えとけよー」というメッセージを発するとか、初対面の新人に「おっ、なんかこの人違うな?」とか、「さすがは支店長だわ」と思わせるような心に刺さる言葉を発したらどーなんだろうかねぇ~って、感じてしまう。
別に美辞麗句を並べ立てろとか、借りてきたような言葉を遣えって言っているんじゃあ、ないんです。
あなたがね、新入りを目の前にしてさ、「こうなって欲しい」っていう、「情熱」があったらさ、新人とはいえちゃんと正面から向き合ってね、相手のことを思えば、そういう言葉が出て来ない方がおかしいとアタシは思うんだ。(その人の魂が腐っていなければですけどね)
アタシが以前読んだ、話し方の本の中にこんなことが書いてあった。
「人前でスピーチをするとき、話し手の話が聴き手の心に刺さるかどうかは、いかに人と違った話をしようとする意識があるかどうかに掛かっている、予定調和な話ほどつまらない話はない!」
アタシはこの一文を読んだとき、なんとなくだけど心のモヤモヤが晴れたような気がした。
そうだよね、そんなんだよね。確かにみんな、安全運転の制限時速厳守の話をするんだけど、そういう安全運転をしたいという思考そのものが、スピーチに置いては命取り!ってことに誰も気付いていない。学生の頃を思い出してみたら、分かるでしょ!校長先生の話って、つまんなかったでしょ!(まあ、中にはみどころのある人格者の校長先生もいらっしゃるけど)
そういうことなんだって。
でも、実際は長になって、大事なこのことに気付いている人にはなかなかお目に掛かれない。だって目の前の人に向き合って、メッセージを発するということを深く考えている人がいないんだもん、人格者で無ければ、そういうことを突き詰めて考えようとはしないから。かといって、人格なんて一朝一夕で簡単に構築出来るものではないからねぇ。
残念なことに、アタシは今の勤め先でそういう人物にお目に掛かったことは無い。
人は変われる、意識が変われば明日からだって変われる。
意識が変われば、行動が変わり、行動が変われば結果が変わる。
でも、自分の意識を変える「なにか」に巡り会わなければ、永遠に変われるはずがない。
だって、人間の脳は予定調和が一番居心地が良いし、変化を嫌うものだから。
年を取ったら、なおさらだよね。
このブログをご覧のみなさんには、「つまらない人生」じゃなく、いっぱい実の「詰まった人生」を送って欲しいと思うのです。
予定調和なスピーチはそろそろ「燃えないゴミ」と一緒に捨ててしまいましょう。(^o^)