学級会の「しーん」これをなんとかしなきゃ、日本は何も変わらない | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
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どうも、すこっちです。(^_^)

 

アタシの学生時代といえば、今から35~40年までぐらいだろうか。

 

記憶をたどって思い起こしてみると、ある出来事が思い出される。

 

小学校でも中学校でも必ず学級委員というのはいるものだ。アタシも確か中学2年の後期に学級委員をやるハメになったことを覚えている。もちろん、自分から立候補なんかする分けも無く、なんとなく真面目そうで、なんとなく素直そうで、なんとなく先生の受けも良い、そんなヤツに白羽の矢は立つものなのである。思えば、そういう存在だったということなのだろう。喜ばしいことなのか、面倒くさいお役目が回って来たのか?残念ながら、当時は面倒くさいとしか思っていなかったように思う。

 

学級委員の仕事と言えば、覚えているのが「学級会の司会」である。これはもう、どこの学校でも、どの学年でも、だいたいお役目としての鉄板といっていいでしょう。

 

でね、この「学級会」。これほど、先生というか学校側からの強制的な押し付けモードで与えられた1時間もないだろう。当時の学生が自主的にディスカッションの場を設けるなんて、あろうはずが無い。そんな学級会だから、当然こうなる。

 

学級委員「それでは、○○の件について意見のある人?」

 

生徒一同「しーん」

 

学級委員「誰か、意見のある人!遠慮なく、意見を述べてください。」

 

生徒一同「しーん」、「シーン」、「しぃぃぃーん」、「死因」、「試飲」、「子音」(くどい)

 

まあ、程度の差こそあれ、だいたいはこうした「しーん」モードになる。誰も積極的に参加したいとは思ってはいない。だから、興味関心も無い。当然、意見も無い。たまに業を煮やして、無理矢理先生や司会の学級委員から発言を求められたりするが、これこそ厄介だ。早く時間が過ぎ去り、自分が指名されませんようにと、息を潜めてじっと心の中で祈る。指名されたヤツが次から次と仕方なく、上辺だけの無味乾燥な意見だけを述べる。そうこうしているうちに、空虚な時間が過ぎ、チャイムが鳴り終了。

 

たぶん、アタシと年齢が同じくらいのアラフィフの方達は、同じような経験があるのではないでしょうか?

 

当時はなんとも思っていませんでした、この空虚な与えられた時間。

 

でも、大人になって外国の教育の情報や本などを読むとね、こんなんじゃあダメなんだろうなぁと思うようになりました。欧米なんかでは、あれなんでしょ!小さい頃から、ディスカッション文化とでもいうのかな、グループでバンバン意見を出し合って、意見を戦わせて、議論を深めて、最終的にみなさんが納得するかどうかは分かんないけど、同じ方向性で結論を導き出す、みたいなことやっていると聞いたことがある。

 

それに引き換え、我が国ニッポン!建前上は議論の場を設けているように見えるけれど、結局のところは決められた、天から与えられた時間。思えば、小さい頃から議論なんてやって来なかった。やって来たことと言えば、出来るだけ波風を立てず、迎合して、周りに合わせて、長いものには巻かれろ的なお利口さん主義。これが一番世の中を上手に泳いでいく術だと、知らず知らずのうちに学んだ。

 

それを今さら、「はい、場は用意したから議論して!」とはこれいかに?

 

小中学生の気持ちの本当のところはアタシにも分かんないけど、そういうどこか釈然としないモヤッとボールが心の中にあっても不思議では無いんじゃないのかなーとアタシは思う。

 

いい加減、この国はこの学生の学級会の「しーん」をなんとかしないと、なにも変わらないよ。

 

だって、意見が無いんだもん。予定調和の流れにただ流されるままに、なんの疑問も持たずに、楽しいことだけにリアクションをし、目の前の苦難、問題はうざったい、面倒くさいとしか思わない。逃げて、黙ってじっと耐えていれば、やがて時間切れがやって来る。

 

あのねー、そんな我慢大会をしているうちに、アジアの中国や韓国や台湾やシンガポールやインドやタイにもどんどん後れを取って行ってるんだよって。日本が経済大国で上から目線だったのは、1990年代の話。今は国際的には完全な中流国なんだよって。

 

日本の国際的な地位は確実に低下しているというのに、ほとんどの日本人がそれに気付いていないし、心配もしてない。それが、現実。本当に力を入れなきゃいけないのは「教育」なのに。これからの日本を背負って立つのは若者なのに、スマホ漬けで魂が抜き取られた抜け殻みたいな若者ばっかりの社会に成りつつあるんだよってアタシが言い切ったとして、それを真っ向から反論できますか?

 

何を感じ、何を思い、何を考えるのか? それ次第で人の行動は変わるのだから、、、。(-_-;)