すこっち探検隊が行くtoあの震災から10年目の2日前に見つけたもう一つの「昭忠碑」 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^_^)

 

今日は3月9日。アタシは休日出勤の振替でお休みでした。

 

気が付けばあと2日で、東日本大震災からちょうど節目となる10年目を迎える。

 

よく言われることですが、10年というのは人間社会においてたまたまキリのいい数字だというだけでして、果たして阪神淡路大震災は1995年ですから25年ですか、あちらはどこまで復興したんだろう。

まあ、津波があったのと無かったのでは被害の度合いも違いますけど、人々の心が癒えて、自分の足で立って、歩いて行こうという希望が持てない限り、本当の復興とは言えないのかもしれません。

 

アタシのお気に入りのCafeの一つである、お隣の七ヶ浜町にあるシチノカフェ。

シチノカフェ&ピッツァ (SHICHI NO CAFE & PIZZA) - 本塩釜/カフェ [食べログ] (tabelog.com)

 

ここは良いですよ~。室内からオーシャンビューが大パノラマで拝見出来るし、なにより雰囲気が良い。そして、ピザもパスタの味も申し分ないし、Wi-Fiも効いている。おまけにペイペイが使えると来たもんだ。2杯目のコーヒーが半額というのもうれしい。

 

と言うわけで、行けるときに行っておこうと思いまして、今日のお昼はシチノカフェでランチ。

 

美味しいパスタを堪能し、満足をして家に帰る途中、近くにある以前から気になっていた諏訪神社に立ち寄ってみることにした。相変わらずの「寄り道王すこっち」。でも、寄り道から思わぬ発見にたどり着くということはけっこうあるもの。その魅力を知っているからこその寄り道ですからね、念のため。

 

んでもって、早速駐車場に車を止めようとしたその時、「んん?あれってひょっとして?昭忠碑って書いてないかい?」

 

「昭忠碑」。分からない人のために富山敬ばりに「説明しよう」

 

アタシら仙台城ガイドが知る「昭忠碑」というのは、仙台城本丸のてっぺんに鳶の像が乗っていた高さ18メートルの立派なブロンズ像。

 

残念ながら、今は2011年3月11日の東日本大震災の14時46分の地震で鳶の像は落下して、今ではこんな感じで安全な下に設置されている。

明治35年に設置されたこの像は西郷隆盛で有名な西南戦争や日清戦争に県内から出征して亡くなられた方を慰霊するために建立されたと伝えられている。アタシもこの話に天皇家と金鵄の伝説なんかを織り交ぜながら話をしたりしている。

 

だから、「昭忠碑」=仙台城本丸にあるこの鳶の像の一つしかないと、アタシは思っていた。

 

しかし、今日その思い込みは覆った。

 

 

なんと、入り口道路から見えるところに、こんなに大きくて堂々と「昭忠碑」が鎮座しているじゃ、あーりませんか。

 

左の方には「第二師団陸軍中将正四位勲二等~」と刻まれている、陸軍のお偉い方が建てたのかな。

なんとも真新しい鳥居。ってことは、そうか東日本大震災の津波がここまで押し寄せて流されたってことになるかしら。

この鳥居のところでも、海抜が13.6メートルもあるんですよ。

 

鳥居に一礼をして、参道を進んでいくと、、、。

右脇の方にこんなところが、ひょっとしてこれは、、、。

 

字が小さくて分かりづらいかもしれませんが、東日本大震災の津波で流されたと刻まれています。

 

明治11年と刻まれている。もし、この「七ヶ浜昭忠碑」が鳥居と同じ頃に建立されたんだとしたら、仙台城本丸にある「昭忠碑」の先輩ってことになるんだわね。

諏訪神社の文字が痛々しい。これも、津波の仕業なんですね。

神社の拝殿を目指して石段を登る、すこっち。

 

この写真をよーく見てください。これはアタシの推測ですが、津波襲来の時この石段を駆け上がった人は難を逃れて、命が助かったということなのかな?という想像を掻き立てます。

拝殿の手前には、お見事!狛犬がちゃーんとマスクをしてますよ。(^o^)

いやーご立派、ご立派。宮司さんセンスがあるねぇ~。

なんと、拝殿の少し手前右側には神社なのに、鐘がある。手指の消毒をして、ご自由にどうぞ!

アタシも消毒を済ませてから、「ゴオオーン~!」

ようやく、こじんまりした拝殿に到着!さすがに鈴は鳴らせないように縛られていた。

お参りを済ませ、入り口の鳥居の後ろに回ると、平成28年に建立とあった。震災から5年後なんだね。

それにしても、津波で鳥居は流されて無残な姿になったというのに、この七ヶ浜の「先輩昭忠碑」はびくともせずにこの場所に生き残ったんだとしたら、よっぽど頑丈に建てられていたのか?それとも、天照大神の神懸かり的なパワーが救ってくれたのでしょうかねぇ。(宮司さんなら分かるのかな)

 

いやー、とにかくこんな近くに津波の痕跡をこれだけはっきりと物語る遺構が残されていたとは。

しかも、「昭忠碑」に兄貴?先輩?が存在したとは、仙台城ガイドとしていい勉強になりました。

 

今度、仙台城の昭忠碑を前にお話をするときは、このネタをご披露しない分けにはいきませんな。

 

興味のある方は、ぜひとも七ヶ浜の花渕浜にあるので足を運んでみてください。

あーその時はシチノカフェの訪問も忘れずに。(^o^)

 

仙台城ガイドをやっているからその存在を知っていた「昭忠碑」。

 

東日本大震災から10年目の2日前の日に、津波を生き延びたもう一体の「昭忠碑」に巡り会うとは。

 

持ってるは、アタシって、、、。(^^ゞ