1冊の本からはせいぜい、1つか2つしか持ち帰れないのです。 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

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どうも、すこっちです。(^_^)

 

先日、初の読書会に参加したことを書きましたが、正直アタシは嬉しかった。

 

なにせ、会社でも友人関係でもガイド仲間でもとにかく、自分の周りには読書をしているという人が存在しない。唯一いるとすれば、それはうちのカミさんぐらいである。カミさんは暇さえあれば、多賀城市立図書館の本の予約枠を目一杯使って、主に新刊の予約を入れて、「やれ何人待ちだ」などという話をする。

 

どうして、こんなにも日本人は読書をしたがらないのか?いや、たまたまアタシの会社の人間だけなのか?いるところにはいるもんなのか?そんなことを日々悶々と思っていたから、読書会の参加者との遭遇はある意味、刺激的であり、新鮮だった。「俺は隠れキリシタンじゃなかったんだ」みたいなね。

 

これはアタシの私感だが、世の中の一部の人はなにか勘違いをされているのではないだろうか?

 

確かに、ネット社会になった。一人一台のスマホは当たり前だ。Yahoo!ニュースで目立った記事を見れば、だいたいこのことは分かる。本も漫画もネットで見れる時代だ。それよりも動画を観ていた方が、楽だし楽しい。ゲームも楽だし、楽しい。TwitterにInstagramにFacebookを追っかけていた方が、楽だし楽しい。

 

しかし、こうしたモニターに映し出された仮想現実はそれほど頭に残らないし、記憶に定着しない。あくまでイメージとして脳の中を通り過ぎていくだけだ。だって、脳が楽をしているもん。脳に楽をさせちゃあ、ダメなんだって。もちろん、脳が楽をしても記憶に残るものはあるだろうけどね。

 

紙媒体を読むのは面倒くさいし、時間を使う。だが、本気になって活字を追いかけていくと、何かが残る。心に刺さるようなセリフや名言やフレーズであったり、言葉の言い回し。若しくは「そういう考え方もあるのか」と気付かされたり、How to本によって、無知な自分をさらけ出し、素直な気持ちでそれをインプット出来たりする。そんな感動や気付きによって、新たな行動を起こすきっかけを与えてくれるのは一にも二にもネット媒体からのバーチャルデータではなく、脳がフル回転で追いかけたアナログ媒体の贈り物なのである。

 

だが、そうそう欲張れない事実がここにある。なぜなら、どんな素晴らしい本に巡り会い、満足のいく読書を終えたとしても、その本から吸収出来ることはせいぜい1つか2つぐらいではないかとアタシは思っている。

 

人は忘れる。時が経てば記憶は曖昧になる。それでも、活字から得たあのインパクトだけは不思議と心に残っていたりするものだ。

 

せいぜい1つか2つ、たったそれだけ。だけど、それを積み重ねていったら、膨大な量になる。

 

同じ50歳なのに、人生の重厚さを感じる人と軽々しい人。はて、その違いはなんだろう?

 

それはたぶん、人が醸し出す、人間味、人間性、人間力、センス、雰囲気、人生観というものは、人生経験と人から教わった耳学問と自分で蓄積して来た読書量に比例するからなのである。

 

どうせ苦労して1冊読み終えたとしても、たった1つか2つ。

 

でも、その1つか2つが人生のピンチを救うこともある。人生を変えるきっかけになることもある。

 

だから、読書を疎かにしてはいけない。全てがデジタルでカバー出来る分けではない。

 

あなたも1つか2つを積み重ねて行きませんか?