夢や希望や勇気や元気は与えるもの?なんか違うような。 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^o^)

 

コロナ禍でスタートした1年もあと半月で除夜の鐘を聞くタイミングとなった。

 

始めは隣の国で「あらあら、大変ね武漢完全閉鎖だってよ」なあんて対岸の火事だと思っていたら、まんまとその小型爆弾(正確には目に見えないね)は世界中のあちらこちらで爆発し、世界が静まりかえった。飛行機は飛ばなくなり、人と人との行き来は無くなり、蜜を避けておこもり族の生活。景気は悪化し、庶民の懐具合も隙間風が吹きっぱなし。医療崩壊もすぐそこまで来ている。

 

こんなすさんだ世の中に誰がした。どうして、こんな目に遭わなければならないのか?絶望に打ちひしがれた一般ピープル。「でもね、元気を出して!」と易しい口調で語り掛ける人たちがいる。そう、それはプロスポーツ選手であったり、アーティストであったり、芸能人であったり。そんな彼ら、彼女たちが口々に言うセリフ。

 

「新型コロナウィルス禍の中でも、僕たちが精一杯プレーする姿をみなさんにお見せすることで、みなさんに夢と希望を与えたいんです。」とか、

 

「今は、こんな世の中ですけど、とにかくみなさんに元気を届けたいと思いました。」

 

なんとなく聞き流してしまうと、それっぽくてコロナ禍の優等生的なコメントのようにも思える。

 

でもさ、夢や希望や元気を与えるって言うけど、それはちょっと傲慢な発言なんじゃあ、あーりませんか?あんたらのパフォーマンスが間違いなく夢や希望や元気を与えているって保証がどこにあるんだよ!それはさ、観た人がさ、個人の感受性でもって「元気をもらいました」とか「勇気をもらいました」って感じるものであって、あんたらが施し、与えるものでは無いとアタシは思うよ。

 

だいたいそんなに簡単に夢や希望や元気が安売りされてしまうもんかね?確かにね、好きなアーティストのコンサートに行ってさ、感涙の一時ってこともあるよ。でもさ、「なんかイマイチだったな」って回も必ずあると思うんだよね。そういうのはあくまでその日、その時のお客さんの感じ方によるものであって、演者がお客さんに押し売りをするものでは無い。

 

どういう言葉が適切な表現なのか、すぐには思い浮かばないけれど、少なくとも上から目線的な表現では無く、「一緒に楽しい時間を過ごしましょう」とか、本来、共感を呼ぶようなものであるべきでは?

 

このプロスポーツ選手やアーティストの良かれと思ってやってるけど、大いなる勘違い発言!

 

みなさんは、どう感じますか?