「アリバイ守備」は日本特有のもの? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
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どうも、すこっちです。(^^ゞ

 

図書館からあるサッカー関係の本を借りてきた。その本を読み始めた冒頭で、こんな言葉が出てきた。

それが、「アリバイ守備」。

 

さすがにこれだけでは、意味が分からないよね。じゃあ、説明しよう!(富山敬っぽく)

 

「アリバイ守備」とはサッカーのディフェンス時において、勝負の「結果」に対して真摯ではなく、「言われたことはやってますよ」的に守備を一生懸命やっているように見せてはいるが、実はあまり機能しておらず、なんとなくゆるいまんまでズルズルとディフェンスをやっている選手の姿勢を揶揄して表現した言葉である。

 

まあ、分かり易く言うとね、センターバックやサイドバックはもともと守備要員だから、一生懸命守備をやるわね、それが本職なんだから。しかし、近代サッカーにおいて、フォワードやミッドフィルダーの守備力によって勝敗が左右されることは紛れもない事実。当然、チームは勝つためにやっている分けですから、必至にボールに食らいついていくフォワードもいる。岡崎や本田みたいなタイプかな。それに引き換え、ここでは敢えて名前は控えるが、守備が苦手なフォワードやミッドフィルダーは遠巻きに見ていると、いかにも「守備はきちんとやってまーす!」、「参加してますよー」って感は出すんだけど、実際のところは当たりも弱いし、がむしゃらにボールを奪いに行っているようには映らない選手もいたりする。

 

結局のところ、守備はダメ出しをされないでケガをしない程度にそこそこやって、ボールに絡んで取れたら儲けもの。あとは、自分のところにボールが来たら、好きな攻撃でいいところを見せたいってことになるんでしょうかね。

 

この「アリバイ守備」という概念は、日本の社会に蔓延しているような気がすると著者は書いている。

 

うーん、なるほど。そう言われてみれば、私たちも社会生活において、よくこの「アリバイ守備」なる光景を目にすることがありますよね。

 

例えば、町内会の朝の掃除。眠い目をこすりながら早起きをして、参加はするがしゃかりきに掃除に全身全霊を傾ける人なんてそうそういない、まさに「アリバイ守備」ならぬ「アリバイ掃除」である。

 

会社の会議なんかもそうだよね。本来ならば、出席者が積極的に自分の意見を出して、実りのある会議にするべきところを、大した発言も無く、空虚な時間が流れる。中には睡魔が襲ってくる人もいたりして、ぬるーい空気が充満してる。これこそ、「アリバイ会議」だ。

 

「やってる感」、「フェイク」、「アリバイ工作のための参加」、こうした概念は決して健全なものとは言い難い。本来ならば、参加者全員のベクトルが同じ方向に向かって、最大の効果や結果を引き出すもののはずである。しかし、世の中にはいろんな人がいる。いろんな考えの人がいる。そうした人たちが集団としてクオリティの高いパフォーマンスを出すということは、本当に至難の業である。とくに、長年「アリバイ守備」にどっぷりと浸かってきて、体に染み付いてきた人にしてみたら、それが普通なのである。それを、今さら死ぬ気でやれといわれても、すでに体は思うように動いてはくれないだろう。

 

「アリバイ守備」マインドは間違いなく私たち日本国民の心に浸透しつつある。

 

だけどね、このままずーっと心がぬるま湯に浸かったまんまでいいはずが無い!(>_<)

 

キャプテン翼を思い出してください。日向小次郎のシュートを顔面で受けて、シュート恐怖症になったゴールキーパーの森崎を立ち直らせるために翼君が取った行動、それは自らが顔面でシュートをブロックすること。言葉では無く、体を張って見せる、行動で示す。これこそ、キャプテンの鑑である。

 

温々とアリバイ守備なんかしていないで、行き詰まった時にはやっぱり「顔面ブロック」なんだって。

 

そういうハートを常に忘れないようにして行かなければ、「生ける屍」と同じってこと。

 

♪ダッシュ ダッシュ ダッシュ キック & ダッシュ 燃えて 青春 駆け抜けろ~♪(^o^)