どうも、すこっちです。(^o^)
すこっち、一応二人の息子の父親である。
下の子も今年で18歳ですから、いい加減手は掛からなくなった。手は掛からなくなったが、会話をする機会も極端に少なくなった。そもそも、こちらから何かしらのモーションを仕掛けても、暖簾に腕押し。
たまに真面目な話をしようとしても、まともに聞き入れるという感じは全く無い。(>_<)
はてはて、どうしてこんなふうに育ってしまったんだろうかねえ。
確かにね、自分もティーンエイジャーの頃は親のことをうっとおしく思っていたし、小言を「うっせえなあ」と思っていたこともある。でもね、少なくともアタシらは団塊ジュニア世代。親は戦後生まれではあるけれど、日本という国の古き良き道徳観を刷り込みで叩き込まれたぎりぎりの世代。その子供だけに、国や学校や町内会や家族で言えば父親、母親という存在に一定の尊敬の念を持っていた。だから、親をうとましく思ってはいても、一応言い分は聞こうとしていたし、親権に従う姿勢は持ち合わせていた。
しかし、である。今はそう思うようには行かない、親を親とも思わない、無分別な思考をするチルドレンが闊歩する世の中になってしまった。
スマホというアイテムをGetした新人類は、自分は無敵だと勘違いしている。怖いもの知らずの自信はいったい、どこから湧いてくるのだろう?そういう姿勢で果たして世の中を渡っていけるのだろうか?
それとも、一日中スマホをいじっていられれば、それで満足!?無欲、無機質、無関心、無表情、無感動という無味乾燥世代?とにもかくにも、親と子供の周波数が一致しづらい世の中であることは間違いない。
アタシもいろんな人の講演会やセミナーに参加したり、多くの本を読んだりしていろんな気付きをもらった。その中でよくよく考えてみると、父親の立ち位置というものに、大きな誤解があったのではないかと、今は思っている。
両親がいて、子供がいる。子供が自然発生的に生まれるなんてことは無い。そうすると、子供が生まれたばっかりや幼い頃は、これでもかというぐらいに可愛がる。まさに無償の愛だ。しかし、子供がそこそこに成長してくると、親はさも子供が自分の舎弟、子分というか上から目線で接するようになる。父親はなおさらその傾向が強い。つまり俺は親なんだ、お前は所詮まだまだ半人前だ。子供は成人になるまでは親に従うのが当たり前だ。程度の差こそあれ、そんな気持ちが誰しも心のどこかには存在する。
この距離感が親子関係を良い方向に導かない癌なんだとアタシは思うのだ。
大事なことは、子供を子供扱いしない。子供だましなんて言葉があるけど、子供を侮辱した変な言葉だ。本来からしたら、確かに親と子という血のつながった上下関係はあるけれど、子供に教えられること、子供に気付かされること、子供に癒やされること、子供に救われることだってある。親がその逆をやるのは当たり前なんだからね。
子供を子供としてみないで、自分の友達と同じように1人の人格者として接する。自分が名前を付け、自分が育ててはいるけれど、それはそれとしてあくまで子供とはフラットな友人として付き合う。
お互いの話をきちんと聞き、言いたいことはきちんとした言葉遣いをもって伝える。
そういうことが出来たら、いい人間関係が構築できる=いい親子関係でいられるはずだ。
それにはある程度、小さい頃から親がそういう意識を持って、子供に接することが必要だ。大きくなってからでは、「何を今さら」と受け取られてしまうからね。
でもね~、それがなかなか出来ないんだよなあ~。子供が生まれた頃って、自分もまだまだ人間としては未成熟。ウィスキーでいうところの、原酒を樽に詰め込んでまだ2~3年って頃だもの、熟成されてないんです。だから、感情的に成りやすいし、思考も単細胞。じっくりと本を読むゆとりもなかったりするからねえ。
これから家族を持つ、若しくは子供を授かる予定の方は、「子供との友人的な付き合い」、「上から目線はやらない」ってことに気をつけて、子育てをやってみてはいかがでしょうか。
結局のところ、自分の心のステージはどんどん上のステージに行っても、目線は常にフラットにして、接する人の目線に合わせる。そして、心の周波数もその人に合わせようとする。その姿勢が大事なのかもしれません。