うるう月って羨ましいものなの? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

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どうも、すこっちです。(^o^)

 

以前、昔の時刻と昔の曜日について書いたことがありましたが、今日はその締めくくりと言っても良いかもしれません。ズバリ、閏年(うるう月)について書いてみたいと思いまーす。(^_^)

 

私たちの常識からすると、1年は365日。ただし、太陽暦だと正確には約365.2422日になる。なので、その多い0.2422日×4年=0.9688日(およそ1日)を閏年として2月29日を設けているのね。

オリンピックの年=閏年だったんですが、今年でその常識は崩れちゃったね。(>_<)

 

太陽のライバルと言えば、もちろん月。

 

昔の人は月の満ち欠けがおおよそ1ヶ月だということに気付き、暦を作成した。これが太陰暦である。

太陰暦換算だと1ヶ月は29.53059日。これに12ヶ月を掛けると1年が354.4308日になる。

「あれっ?それじゃあ、365日よりも少ないじゃん!」そうなんです。なので、太陰暦ではこの差を調整するために、19年に7回。分かり易く言うと、ほぼ3年に一度1年が13ヶ月ある「閏月」(うるうつき)が存在したのです。

 

凄いよね~。閏年ならさ、4年に1回1日だけだからそれほど気にも止めないけど、調整用の月が3年ごとに1回だよ、13ヶ月過ごさないと1年が終わらないんだよ。どー思います?なんか凄い違和感を感じませんか?

 

そもそも、我が国ニッポンは太古の昔からずーっと太陰暦だった。お月様と共に年を重ねる。そんなロマンチックな年の取り方に誰も文句を言う人もいなかったし、不自由も感じていなかった。

 

ところが、ここからが面白い裏話。

 

太陽暦を使い始めたのは明治6(1873)年のこと。明治6年は太陰暦でカウントすると、ちょうど閏月が発生する年だった。この頃と言えば、倒幕→明治維新が行われた頃だ。天皇を中心とした明治新政府の旗の下、新しい日本の姿が形作られていった時代。お金の無い明治新政府としては、出来るだけ出費を削りたい。なので、ウルトラスーパーなアイデアを思い付いた。それは、明治5年の12月2日を持って、太陰暦を廃止し、翌日の12月3日を持って、新たに太陽暦を採用することにした。

 

なーんでか?

 

閏月つまり、1年が13ヶ月あると、都合の悪いことがある。月給を13回払わなければならない。それを

強引に12月3日を明治6年の1月1日することで、、、。

 

①正規の12月の給料を払わない。(1月分の給料として払う)

 

②閏月分の給料を払わなくて済む(この年は閏6月)

 

という分けなのですよ。明治新政府にも一休さんみたいな人がいたんだね。

 

つまり、今のこの旧暦と新暦の中途半端な日差は明治新政府の究極の節約術が原因だったんです。

 

世の中のお決まりごとって、紐解いてみると、だいたいそんなもんなんだよね。(-_-;)

 

「あ~あ、今年の予算達成には業績がいま一つだな。1年が13ヶ月あったらな~。」

そんなことをぼやいている管理職様たちにとっては、喉から手が出るほど欲しい1ヶ月?

 

でも、アタシらのような一般ピープルにとっては、毎月のお給料日が来るまでどうやって過ごそうかなあという生活なので、あんまし関係ないってか!?

 

ああ、でもあれか?1ヶ月分年を取らないってことになるんですかね?

 

良いことも悪いこともある、不思議な不思議な閏月。あなたも「閏月」ちょっと想像してみては?