結婚観今昔について考える | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^^ゞ

 

毎回、毎回自分なりの感性を歯に衣着せぬ語りでやってる、このブログ。

 

そんな「すこっち節」に魅力を感じて、読んでくださる方も少なからずいるんだろうと勝手に思ってますが、今日のお題はちょっと辛口な内容かもしれません。 多くの方を敵に回すことになるかもしれません。でも、言いたいこと、書きたいことをセーブしてしまったらそれは、「すこっちのブログ」じゃなくなる気がするんで、そこは「相変わらずの「すこっち節」と受け止めて、最後までお読み頂ければ幸いです。m(_ _)m

 

さて、それでは本題。

 

アタシの職場は、、、男性も女性も独身者が多い。それも年齢は若いヤツばっかりという分けでもなく、30代~40代もいる。ところが、他の支店や部所ではフツーに若いヤツが結婚して所帯を持っている。子供が生まれたからと、お祝い金を徴収する回覧が回ってきたりもする。

 

う~ん、よく分からん。(>_<)

 

これは結局のところ、年齢がどうとか、職場環境がどうとか、価値観がどうとか、そういうことだけで片付けられる問題ではないらしい。今と昔の結婚観というのが、そんなにもメタモルフォーゼ(突然変異)を遂げてしまったのだろうか?

 

アタシら団塊ジュニア世代と呼ばれる年代はおそらく、最後の「刷り込み世代」と行ってもいいかもしれない。どういうことかというと、男の子はこうあるべきとか、女の子はこうでなきゃいけないとか、自分の意思よりも決められたあるべき世の中の理想論を強制的に押しつけられてきた世代なのだ。

 

だから、「こんな軍隊みたいな事やだなぁ~」と思っても、夏休みの朝のラジオ体操や学校のプールは欠かさず参加をするし、音楽のリコーダーは課題が吹けるようになるまで、特訓の連続だ。とにかく科せられたハードルを必死にこなすことが、生き延びる道。「お利口さん」という踏み外してはならないレールの上を進み続けることで、自己を保ち、それが人生だと思って生きてきた。

 

当然、お年頃になればフツーに相手を見つけていずれは結婚し、家庭を築くというのも既定路線という考え方を知らず知らずのうちに親や周りからすり込まれてきていたのかも知れない。

 

一見すると、「○○計画」みたいなこの刷り込み企画が世の中に定着すると、どうなるか?

年齢が上がっていくとともに、程度の差はあれど結婚する人の割合、子供を持つ人の割合が増える。

そうすると、自然に職場なんかでこういう会話が聞かれるようになる。

 

「あんたもお年頃だろう、誰かいい人いないのかよ?」

 

「先輩、誰かいい人紹介してくださいよ」

 

「へえ~今度結婚するんだって、おめでとう! で式はいつ?」

 

「新婚旅行はどこに行くの?」

 

「君、子供が生まれるんだって?どっち?男の子?女の子?」

 

「子供の名前、決まった?」

 

「すみません、今日子供をお風呂に入れなきゃ無いので、定時で上がります。」

 

「今度の日曜日は子供の運動会なんで、休日出勤は出来ません。」

 

「そうか、君の娘さんももう中学生か?早いもんだなぁ~。」

 

「へえ~娘さんが高校受験か、大変な時期だね。」

 

「あらま、もう娘さん成人式なの?」

 

人生の先輩は人生の後輩に自分の歩んできた道程を振り返りつつ、結婚観や子育てという共通の人生観でもって、時には相談に乗ってあげたり、時にはアドバイスをしたり、時には同じ愚痴を漏らしたりして共感しながら、家族の素晴らしさを反芻して来たのである。

 

がしかし、今の時代はストレートとカーブだけで抑えられるような単純な時代ではなくなった。

 

個人主義が世間の目も気にせず、大手を振って歩ける世の中。気が付いてみれば、結婚だけが全てじゃない、自分のお給料を自分の好きなことに使って、好きに生きるのも悪くはないと考える人の割合がずいぶんと多くなった。レールの上を同じような電車だけが走り抜ける時代ではなくなりつつあるのかもしれない。

 

そうなるとね、今度は家族持ちが独身者に変な気を遣う風潮が漂い出す。

 

昔の多数派が今の少数派で、昔の少数派が今の多数はなんて場合も出てくる。

 

彼氏、彼女のいるいないなんて会話はタブーになるし、前述したような家庭臭を醸し出す会話をしたところで、見向きもされなくなってしまうという悲しい現実。(>_<)

 

これって、なにかがおかしい。

 

本来ならば、そこが一番世代を超えて、共感できるキラーコンテンツのはずなのに。

 

どちらが正しくて、どちらが間違っているなんて答えは永遠に出ないけど、

 

無くして欲しくない、共感できるキラーコンテンツ。

 

それを棚上げして、やり過ごすっていうのもどうなんだろう?

 

聖徳太子の「和を以て貴しとなす」っていう十七条の憲法の「和」というのは、世代を超える共感から生まれるものなんじゃないかなあとアタシは思う。