木村花さんのことについて、書いてみた。 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

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どうも、すこっちです。(^o^)

 

2020年5月23日にプロレスラーの木村花さんが亡くなられた、自殺である。

 

一時はコロナ禍ネタを一気に吹き飛ばすぐらいの話題をさらった。

 

ある意味現代病とも言える「ネット依存」に「スマホ依存」それに付随する「SNSによる謎のマスクマンによる誹謗中傷」。

 

アタシら少し前の昭和世代からすると、「何もそこまで思い詰めなくても」と片付けてしまいがちだが、そもそも人の感性や考え方というのは平安の昔から戦国時代を経て、現代に至ってもそれほど変わっている分けでは無いとアタシは思っている。

 

大のプロレスファンのアタシとしても、この話題に触れない分けにはいかない。

自分なりの思ったこと、感じたことを書いてみたいと思います。

 

大のプロレスファンと豪語したすこっちではあるが、木村花さんの試合はそれほど観戦したことは無い。

何度か拝見したときは、母親の木村響子を彷彿とさせるビッグブーツを使いこなし、似たプレースタイルをしているな、という感じだった。

 

私の中では母である木村響子の方が思い入れが強かった。

 

木村響子がA to Zという団体に参戦していた頃、団体のエース格だった未来選手と死闘を繰り広げていたことを思い出す。これがね~、よくある光景なんだわね。未来は将来を嘱望されたエースでして、なにをやってもスマートでスター性があった。なにより可愛い。それとは対照的にすでにシングルマザーだった響子はワイルドなヒール色を前面に押し出し、「雑草魂」という言葉がピッタリという感じ。

 

一進一退の攻防を繰り広げた二人の戦いなんだけど、最後の最後にはエースの未来が勝利を収めていた印象がある。まるで、Zガンダムのカミーユとジェリド中尉のような、ドラゴンボールの悟空とベジータのような、エースを狙えのお蝶婦人と岡ひろみのような二人のサクセスストーリー。好敵手でありながら、得てして輝きを放つのは一にも二にも善玉役のエースだったりする。(まあ、後年の活躍度合いは人によって変わってくるんですけどね)

 

その後、木村響子は活躍の場を求めて、男子選手と対戦したり、ハードコアデスマッチ路線へと繰り出し、ファンを惹きつけるファイトで人気を博すようになっていった。まあ、キャラ的にはそっちの方が水に合ってたんでしょうなあ。

 

そんな母親のファイトを見て育った花さん。

 

親子でプロレスラーという修羅の道を選択し、見事に「花」を咲かせたはずだったのに、、、。(-_-;)

 

その死の原因がプロレスの試合中とかではなく、テレビ番組のSNSの誹謗中傷とは、、、。(-_-;)

 

アタシは「テラスハウス」という番組の存在も知らなかったし、見たこともないし、見たいとも思わない。

ただ、アメリカなんかでやっているリアリティ番組の存在は知っていたし、日本でそれを真似したような恋愛絡みの番組も見たことはある。

 

確かにね、顔も名前も隠してさ、ネットで誹謗中傷する奴らは悪い!人間が腐っていると思う。

でもさ、別の見方としてね、そんな連中の「世迷い言」をいちいち気にしていたのでは、身が持たないって

。(>_<)人気稼業だったら、なおさらだ。以前、野村克也さんの講演会で伺った言葉に、「目暗千人、目明千人」という言葉がありました。世の中に自分のことを評価してくれない人は千人いるけど、評価してくれる人も同じくらいいるもんだよ、っていう意味なのです。

 

花さんの場合、タレントとしての人気や力量はともかく女子プロレス界ではちゃーんと認知されていた分けですから、「あんな、番組のアタシだけ見て何が分かる?文句があるなら、プロレス会場に来い!」ぐらいの心構えでいてくれたら、今頃橋本真也や三沢光晴やジャンボ鶴田やジャイアント馬場とバトルロイヤルをするようなことは無かったはずなのに、、、。(>_<)

 

以前何回かアタシのブログにも書いたことがあるんですけど、結局のところ世の中を生きていくってことはさ、高杉晋作の辞世の句(本当に辞世かどうかは諸説あり)に集約されている。

 

「面白きこともなき世を面白く 住みなしものは心なりけり」

 

世の中なんて、しょせんは自分の思い通りにならないつまらないことばかり。

 

それを面白いと感じられるかどうかは、その人の心の持ちよう次第。

 

人間って感受性を高めていくことで、日常の些細なことにも幸せや喜びを感じることが出来る動物なんです。ただ、世の中にはそれに気付いて海図や錨をちゃんとGetして、海原を航海出来る人と、気付けないまま時代の波に流されてしまう人がいます。

 

例えば、

 

早起きをして、朝から晩まで外で農作業をして、夕飯時の晩酌で幸せだと思える人もいる。

 

刑務所にいても、般若心経を唱えたり、聖書を読んで心のよりどころを失わず、今日はいい一日だったと眠りに付く人もいる。

 

そうかと思えば、

 

億万長者なのに、ひとりぼっち。何も不自由は無いし、欲しいものは何でも手に入る。でも、なにか満たされないで人生を面白いと感じられない人もいる。

 

ドラッグに走って、地位や財産、名声をみすみすドブに捨ててしまうような人もいる。

 

最後に我らが伊達政宗様の言葉に耳を傾けて、結びとしますかね。

 

「まともでない人間の相手をまともにすることはない」

 

おっしゃるとおり!400年前の政宗様も分かってたんだねぇ~。

 

そして、最後はやっぱりこれ!

 

「曇りなき 心の月をさき立てて 浮世の闇を照らしてぞ 行く」

 

自分の「心の月」をしっかり熟成しましょう、これはウィスキー(スコッチ)に通じるものがあるね。

 

その月明かりを頼りに進めば間違いなし!ってことですから。(^_^)/