どうも、すこっちです。(^_^)
「もーいくつ寝ると GW~♪」そんな浮かれ気分もどこへやら、、、。(-_-;)
気が付けばコロナ禍の嵐が吹き荒れる日本列島、というか世界中がだわね。もはや、これだけ人間を恐怖のどん底に突き落としてくれたのって、天災を除けば、まず間違いなく最近じゃあ、コロナウィルス君がトップでしょうなあ。戦争は人間が引き起こすものだけど、疫病だけはどうにもなんないもんなあ。
まあ、疫病というものは今に始まったものではなく、昔から流行病というのはありました。島国で平和な日本列島に疫病を輸入したのは、中国や韓国から渡ってきた渡来人だとされている。天然痘にはしかでしょ、赤痢にコレラにインフルエンザに結核と枚挙にいとまが無い。日本でコレラが流行したのがちょうど日清戦争の頃。実は戦争で亡くなった人(13万人)よりもコレラに感染して亡くなった人の方が多かった(37万人)という衝撃の事実もある。本当に恐ろしきは、伝染病である。
昔からこの疫病対策として、加持祈祷(神頼みってことね)などは行われていたんですが、庶民の間ではものすごく強ーいお侍が疫病を退治してくれるとまことしやかに信じられていた。
例えば、「平将門」様ね。「風と雲と虹と」のDVDを完全制覇したアタシ的にも一押し!なんと言ってもね、将門首塚伝説もあるくらいですから、そりゃあね、疫病も尻尾を巻いて逃げるかもね。
あとは、真田幸村ね。彼も悲運の武将ながら徳川家康をあと一歩の所まで追い詰めたと言うことで、男の中の男ってな感じで人気急上昇!これまた疫病退治のニューヒーローとしてもてはやされた。
どちらも大河ドラマの主役も務めているし、疫病退治のもののふとしては、申し分が無いでしょう。
しかーし、ちょっと待ったー!(昨日に続いて、またねるとんかよ)
先の二人ほどの知名度は無いけれど、日本の歴史上、たぶん最強戦士と言ったら、この人しかいない。
紹介します、それが
「鎮西八郎為朝」なのです。
? ? ? 「誰それ?」、「いつの時代の人なの?」頭に?が浮かんだ人、いっぱいいるかもね。
でもね、とにかくこの「鎮西八郎為朝」を知らずして、侍を語るなかれっていうぐらいものすごい存在感。
何が凄いって、彼のエピソードが凄すぎなんです。まあ、聞いてくださいな。
「鎮西八郎為朝」の本名は源為朝って言います。いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府の源頼朝のお父さんが源義朝。そのお父さんが源為義。為朝はこの為義の八男(だから八郎なのね)つまり、頼朝の叔父さんであり、頼朝のお父さんとは兄弟なんです。
では、為朝エピソードその1
「わずか4歳で牛車をひっくり返す」
当時、貴族の一般的な乗り物だった牛車をですね、わずか4歳にしてひっくり返す?ってあり得ないっしょ。まあ、証拠があるのかと言われると苦しいですが、為朝だったらやるかもと思っちゃう。
為朝エピソードその2
「16歳にして、九州を制圧」
子供の頃から、やんちゃを通り越して乱暴狼藉の限りを尽くした為朝。もはや、父親の為義も持て余し、「こいつはヤバい」と感じ、13歳で勘当して九州に追放してしまうのです。
しかし、そんなことでめげてる為朝少年では無いんだよね。勝手に「鎮西総追捕使」と名乗って球種各地で大暴れ。ちなみに、「追捕使」とは警察官のこと。合戦や城攻めに明け暮れ、16歳にして九州を制圧。
あまりの狼藉に朝廷から出頭命令が出たんですが、為朝はこれを完全無視。お父さんの為義が官職を解かれてしまいます。(失職したってことね)
為朝エピソードその3
「彼の愛用の弓は5人張り」
最強の戦士には最強の武器が付きものですが、彼の場合4人の人が弓を曲げ、1人が弦を張るというとんでもない強弓だった。どんな猛者でも、この弓は引けなかったらしいです。現在アチェリーで引く弓は1人で25キログラムぐらい。×5だから125キロの弓を1人で引くなんて、人間じゃない、、、。(-_-;)
為朝エピソードその4
「アンドレザジャイアント並の体格」
1156年に起きた保元の乱。ここで、彼が戦のメジャーデビューを果たす。「保元物語」に書かれた内容によると、西河原門の守りについた為朝は身長2メートル10センチ(ちなみに、アンドレは2メートル23センチ)左腕が右腕よりも13センチも長く(弓矢の使い手としては理想的かな)、腰に下げていた太刀は3尺5寸(1尺は30センチだよ)もあった。もうね、立っているだけで威圧感抜群だったろうね。
為朝エピソードその5
「平清盛がビビって逃げる」
攻めてきた平清盛の軍勢にですね、さっきのキャノン砲みたいな強弓から穂先が22センチもあるミサイルみたいな矢をぶっ放した。そしたらね、1人の体を貫き、もう1人の鎧の袖に突き刺さったそうです。
そのミサイルみたいな矢を持ち帰って清盛に報告すると、清盛は、ガクガク・ブルブル。「作戦変更!そこ攻めるやーめた。北門から攻めようぜ」(為朝怖いから、近寄らない方がいいね)となったんだとか。
為朝エピソードその6
「300人が乗った軍船を強弓で撃沈させる」
保元の乱に破れた為朝。伊豆に島流しとなりますが、なにせ為朝ですからね、おとなしくしている分けが無い。暴れん坊の大男ばかりが住む島をあっという間に制圧。最終的には伊豆七島を征服してしまいます。朝廷から為朝追討軍が差し向けられると、もはやこれまでと思った為朝は最後に一矢報いるためにと、例のキャノン砲からミサイル矢を発射!見事に命中し、300人の軍船は沈没してしまったそうな。
館に帰った為朝は長男を刺し殺し、自分は切腹して自害。歴史上、これが最初の切腹だったと言われています。
これほどの強者武勇伝の持ち主である源為朝。
いつの頃からか、巷では疫病が流行ると人々は家の玄関に「鎮西八郎為朝の宿」と書いたお札を貼り、為朝公が疫病を退治してくれるとまことしやかに信じられていたんだそうです。
昨今、コロナウィルスの恐怖にさらされている、わが国ニッポン。
でも諦めるな!そうだ、日本には「鎮西八郎為朝」公がいるではないか!
こうなったら、救世主である彼に託すしか残された道は無い。
「鎮西八郎為朝」がきっと、あのキャノン砲でミサイル矢をコロナウィルスにお見舞いしてくれるはずだ。
いっそのこと、スマホの壁紙にでもしておいたらどうだろうか?彼の肖像画でも。
日本に為朝あり!「いい国 つくろう 源為朝」ってことでどうでしょう? (^_^)/