どうも、すこっちです。!(^^)!
昨今は降って湧いたような歴史ブーム。
テレビでも歴史やお城を取り上げた特集番組が多いし、仙台の伊達武将隊みたいなおもてなし集団が日本全国のあちらこちらで活躍中だ。
その戦国ブームと二人三脚で盛り上がってきているのが、「刀剣ブーム」。これは、ゲーム「刀剣乱舞」のヒットによるところが大きいんだそうな。
我らが伊達政宗に関する名刀と言ったら、以前このブログでも紹介した短刀「鎬藤四郎」https://ameblo.jp/scotch0711/entry-12374494421.html?frm=themeがあるんですけど、今日は「刀剣乱舞」ではメインキャラ級の存在になっているという「燭台切光忠」を紹介したいと思いまーす。!(^^)!
刀を作る職人の集団を「刀工」って言うんだけど、備前国だから現在の岡山県に「長船派(おさふねは)」と呼ばれる「刀工」がいたんです、鎌倉時代の話ね。そんでもって、その「長船派」を始めた祖と言われる人が古備前派の近忠・光忠親子だった。この長船派が名匠を多数生み出したことから、長船刀工が製作した刀剣は長船物(おさふねもの)として高く評価されていったのです。なお、通称として単に「長船」「備前長船」とも呼ばれたりする。
そんでもって、この光忠さんが作った刀が名刀と言われて人気が出てね、あの織田信長がですよ、華やかな光忠の作に惚れ込んで、20数振りを集めていたんだそうな。
「ゴッド信長」を虜にした光忠さんの名刀。しかし、現存するのは30振り前後しかないんだそうです。
そんな名刀を天下の「伊達男」が目を付けない分けが無い。1596年(慶長元年)豊臣秀吉の伏見城築城の折に伊達政宗が御座船を献上したところ、たいそう喜んだ秀吉からこの光忠を下賜されたんだそうです。(政宗が持ち逃げしたという説もある)やるねー、よっ!贈り物上手!!(^^)!
こうして、伊達政宗の手に渡った「光忠」なんですが、彼は「光忠」を複数所有していたらしい。
じゃあ、なんで「燭台切り」の異名が付いたのか?
これは、結構有名な話でもあるんですが、伊達政宗が近侍の家臣に罪があり光忠で斬った際に、な、なんと銅の燭台(ろうそくを立てとくキャンドルスタンドね)の陰に隠れているのを燭台ごと切り落としたという説と、鉄の燭台を人と併せて切り落としたという説から「燭台切り」と呼ばれるようになった。
う~ん、銅製や鉄製の燭台をしかも人ごと一緒に斬るって、ちょっとありえなくねー。(-_-;)
確かに信じ難いんだけど、まあそこはですね、あの政宗ならあり得るかもーって思わせる政宗キャラに免じてご勘弁ください。m(__)m(いや、本当に斬ったかもよ)
最終的に伊達政宗から水戸徳川家に贈られてたことになっているんですが、これについても諸説ありまして、水戸藩主の水戸頼房にねだられたのを断ったんだけど、頼房が三代将軍の家光に相談して結局政宗が献上したとか、頼房が強引に持ち去った(ここでも持ち逃げ疑惑かよ)という説がある。
こんな、伊達政宗の逸話のハーモニーを奏でた「燭台切り光忠」」。
現在は茨城県水戸市にある「徳川ミュージアム」に所蔵されている。
機械があったら、拝見してみたいものですな。「燭台切り光忠」」
どうせだったら、斬ってみせてよー 燭台を!そりゃ、無理か、、、。(-_-;)