どうも、すこっちです。!(^^)!
全国1000万人の伊達政宗フリークのみなさん、お待たせいたしました。
のっけから大ブーイングの嵐、ありがとうございます。m(__)m
あまりの大胆仮説で呆れてしまった方もいるかもしれませんが、頼むからチャンネルはそのままで。
実はこの話、ちょうど2年前ぐらいのブログにも書いてるんでそちらを読んで頂いてもOKよ。
https://ameblo.jp/scotch0711/entry-12184150711.html?frm=theme
政宗のおじいちゃんは名前を晴宗って言います。「晴」って漢字が使われているということは、勘の良い方ならお気づきかもしれませんが、室町幕府の12代将軍足利義晴様から一文字拝領したってことなのね。
そんでもって、この晴宗おじいちゃん。けっこうなやんちゃものだった。彼が24歳の時、父の稙宗と実に6年にも及ぶ奥州を巻き込んだ親子げんか(天文の乱)をおっぱじめる。将軍足利義晴の仲裁で和睦するんだけど、結果的に晴宗が勝利し、父である稙宗を丸森に隠居(幽閉)させることになるのです。
これだけバイタリティに溢れた晴宗おじいちゃん。でも、彼のエピソードとして語らずにはいられないのが、彼のラブロマンス(なのか!?)についてである。
彼は鷹狩りの時に、奥州一の美女と呼ばれた岩城重隆の娘、久保姫に一目ぼれしてしまう。
ところが、彼女にはすでに婚約者がいた。(白川城主 結城清綱)
しかし、そんなことで諦めると思います?この人。
かくして彼の「ミッション・インポッシブル」がスタートした。
なんと、婚礼の日取りを内偵し、精兵300余騎、軍兵2,000を率いて待ち伏せし
婚礼の行列を急襲し、久保姫を略奪してしまう。
まさに、映画「卒業」のクライマックスの1シーン。(あれ?でもそうするってぇと、晴宗が先なのかい?)
これには新婦の父岩城重隆も激怒!しかし、久保姫は晴宗がイケ面だったからなのか?
は定かではないけど、父に「頼むから彼を許して!と懇願する。」
こうなっては重隆も「まあ~本人がそういうなら、伊達もなかなか有力者だし。」
てな感じで、しぶしぶ許しちゃう。
ただし、交換条件として晴宗と姫の間に生まれた男子の第一子を岩城家の養子にするということで決着。(重隆には世継ぎがいなかったんで。)
こうして、ほとんどストーカーかラブハラ(?)まがいの晴宗の行為なんだけど、結果オーライ。二人は晴れて夫婦となり、久保姫は晴宗の正室となったのでありました。
約束通り男子の第一子は岩城家へ、そしで第二子が跡取りの輝宗(政宗のパパ)という分け。
あれ?ていうことはですよ、こんな仮説が成り立ちますよね。
もし、晴宗が「花嫁横取りミッション」を敢行しなかったら、政宗の父親は輝宗ではなかったかもしれない。だって第一子は岩城家の後継ぎとして差し出したんだものね。まあ、誰かは伊達家を継いだんだろうけど、果たしてみんながよく知る日本一の伊達男、伊達政宗がイコールの人物だったのかどうか?
そう考えると、晴宗の大胆な「ラブストーリーは突然に」があって、伊達政宗に辿り着いたという見方も出来るのよねー。
「♪あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら 僕らは いつまでも 見知らぬふたりの まま♪」
考えてみると、武士の世は結婚を敵との交渉材料にした政略結婚がほとんど。なのに、そんなの度返しで「奥州の中心で愛を叫んだ」晴宗って、実はステキ!な伊達男だったのかな。!(^^)!