すこっち探検隊が行くto「若林城に見る政宗の築城意識他基調講演会」 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
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どうも、すこっちです。!(^^)!

 

3/21(木)と言えば、本来であればお彼岸のど真ん中。日本国中、お墓詣りが定番ルーティーンのはずなのですが、私この日はある方から紹介された基調講演を受講してきたのです。題名は「若林城に見る政宗の築城意識」と「政宗の城下町プラン」という、政宗ファン、仙台城フリークからするとなかなか興味を魅かれる内容だと思いませんか?

 

ご存じのない方のために説明をしますと、「若林城」と言うのは伊達政宗が晩年の8年間を過ごした隠居城のことなのです。まあ、城と言っても仙台城に比べれば規模は小ぶりですが、それでも城主が天下の伊達男ですから、やっぱりそこはしっかりとしたお城であったことは事実なんです。

 

でもね、残念ながら明治維新後、宮城刑務所となってしまったためにその存在感が広まることも、話題として深く掘り下げられる機会もなかったんです。昨今の歴史ブームの波で、この「若林城」にもスポットライトが当たるようになって来たという分けなのです。

 

この基調講演、、実を言うとけっこう仙台城に関する深掘りが多かった。アタシら仙台城ガイドをやっている身にとっては、「なるほど、そういう考え方もあるのか~。」っていう新たな見解を聴くことが出来たので、大変いいお勉強になりました。

 

ここで、みなさんにその内容を少しだけおすそ分けです。

 

1.初期(1602年)の仙台城は本丸と東丸(三ノ丸)および花壇屋敷で構成されていた。この時点では大橋は建設されておらず、城下から本丸へは、花壇→花壇橋→巽門→清水門→沢門→本丸というルートをたどって登城したと推測される。

 

2.山上の本丸は戦闘のための施設で、居住空間や藩政の執務空間は東丸に置かれていた可能性が高い。

 

3.築城後約10年の慶長14年に大橋が建設される。この大橋建造によって、城下を結ぶメインルートが、大町→大坂→大橋→城と言うルートに変更されたと思われる。

 

4.大橋建造の翌年に本丸大広間が完成。おそらく本丸を大規模に整地し、そこに大広間をはじめとする御殿建築群を整備し、東丸にあった機能を本丸にそっくりそのまま移したのである。

 

5.仙台城本丸の本質は、広大な平坦面に多くの御殿建築を配した点を評価するべきである。これは室町時代に将軍御所や守護所の系統を引き継ぐ、「方形館」(要ググること!)と呼ばれる文化的価値のある

建築を山上に出現させたところに意味がある。これは、一見すると堅固な城構えのようでいて、実際に本丸に入ってみるときらびやかで立派な御殿!これは、まさに「虎の皮をかぶった羊」である。

 

6.近世城郭で天守を有する城は100に満たず、有力大名の居城でも天守が無い城は珍しくない。

天守が城の防御の役に立ったことは一度も無く、城の外郭戦線を突破された時点で城の落城は決定的であり、天守はあくまで権力の可視化であった。(実は実力のある大名は。天守にこだわっていなかった。ってことは、裏を返すと実力の無い大名の城=絢爛豪華な天守閣=弱い犬ほどよく吠える!=現存天守の城って弱いヤツら?)

 

いやね、、なかなか目からウロコだったわ。特に1と3の変遷と5の「方形館」かな。「虎の皮をかぶった羊」ってやつね。フツーはさ「羊の皮をかぶった狼」って言う表現が一般的なんだけど、さすがは天下の伊達のカリスマ政宗様だよね。えっ?このさすがの意味が分からない?そうですか、分からない人の為に私、すこっちなりの解釈を加えときますと、こんな感じです。

 

以下、政宗様と姫との会話

 

姫 「政宗様、仙台城は広瀬川が天然の堀になっているし、山城で見事な石垣に5つの櫓って天下無敵の要塞って感じで、超強面(こわもて)なんですけど、、、。(>_<)

 

政宗 「そう思うでしょ! じゃあ、ちょっくら本丸に行ってみるとしますか。」

 

政宗「到着~。さあーここが超強面(こわもて)の仙台城本丸の中でぇ~っす。」

 

姫「ええええー。なにこれ、凄ーい!大広間や御殿に能舞台。それに、あれ何?懸造りって言うの?凄過ぎるー。やっぱ、政宗様って日本一の伊達男だね!」

 

政宗「えっへん、これこそ虎の皮をかぶった羊じゃな。」

 

と、まあ現代風の会話にしてみましたが、要は「強面」と「柔和」みたいなギャップを取り入れて、魅力をアピールするっていう手法をいち早く使っていたのが、政宗様=仙台城だったんですね。

 

ひょっとすると、政宗様は

 

「天守閣なんて、弱いヤツか見栄っ張りの象徴さ! 俺にはそんなモノ必要ないぜ。」

 

「分かってないな~。おしゃれって言うのはね、見えないところでするもんなのさ。」

 

「こんな堅牢な山城の頂上に、こんなきらびやかな御殿が!どう?このギャップ効果。たぶん、こんな最先端の手法使っているのって、たぶん私だけ。なぜかって、だって俺は"伊達男″だもーん。」

 

「俺の自慢の城、観たいヤツはここまで上がって来ーい!」

 

って、言いたかったのかもしれませんね。!(^^)!