ボーっと生きてんじゃねえよ! 意外と知らない「藩」は明治生まれ | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。!(^^)!

 

あ~あ、使わないでおこうと思った「ボーっと生きてんじゃねえよ!」とうとう使ってしまった、、、。(-_-;)

 

NHKの番組だというのに、いつの間にかお茶の間を賑わす名物番組になりつつある「チコちゃん~」

番組のコンセプトが「これ知ってる!?」的な雑学番組だとするならば、今日は「チコちゃん~」ならぬ、

「すこっちさんに叱られる!」ヴァージョンでいってみましょうか。!(^^)!

 

さて、今日のテーマはズバリ!「藩」です。

 

「藩」って言いますと、有名なところでは、会津藩、長州藩。地元だと仙台藩、伊達藩と言ったりもしますよね。これって、フツーの認識だと江戸時代から「仙台藩」とか「伊達藩」という呼び方をされていたと思いますよね~。 

 

でもそれって、

 

「ボーっと生きてんじゃねえよ!」

なのです。(アタシは優し~く言ってるからね、念のため)

そもそも、当時は「〇〇藩」と呼ぶ、習慣すらなかった。

 

じゃあ、この「藩」とはいったい何者なのよ?って話になりますよね。それには、明治維新の時に行われた「廃藩置県」の前の「府藩県三治制」という制度が肝になります。

 

長くなるので、簡単に説明をすると明治新政府は今までの幕藩体制をさっさと解体したいと考えていた。

徳川家の天領(直轄地)だけでも800万石ぐらい持っていたんだから、まずは徳川家と大名の持っている土地と人民を朝廷に返還させなきゃいけない。これが、「版籍奉還」(1869年7月25日)でも、それをいきなりやったら、当然怒るよね!いくら新政府軍が最新兵器を持っていたとしても、「窮鼠猫を咬む」という言葉があるけど、徳川家と大名が束になって掛かって来られたら泥沼化は必至だ。なので、段階的に進めることにした。

 

それが「府藩県三治制」だ。要は戊辰戦争で敵対した藩や旧幕府軍の領地を没収して、新政府の直轄地として、でっかい行政区を「府」、それ以外を「県」、敵対しなかった大名が治めていた領地を「藩」とした。

 

そうなんです!ここで初めて公の場に「藩」が登場するんですね。

 

早い話が大名の顔を立てて、その人たちの領地を敢えて「藩」という呼び方をした。歴史好きのみなさんなら分かると思いますが、昔の土地は大名だけの物じゃない。お城を持たない旗本だって領地を持っていたし、荘園があった時代からお寺や神社も領地を持っていた。そう簡単にはいかない領地問題を解決するのはなかなか大変なことだったのであります。

 

1871年8月29日にあの有名な「廃藩置県」が行われて、「府県制」となり、「藩」は廃止されました。な、なんと「藩」の命はわずか、2年足らずだったというが真実なのです。(携帯の2年縛りとは、関係ないか。)

 

でも、ここで素朴な疑問が生じます。

 

「じゃあ、江戸時代の人は今で言う「県」のことを何と呼んでいたの?」

 

そうだよね、必ずそこに行きつきますよね。

 

では、一つ一つ疑問を解決して行きましょう。

 

まずその1 「伊達藩」は間違い!

 

これはなんとなく分かりますよね。だって、宇和島伊達家(初代藩主が政宗の長男の秀宗ね)っていうのもあるんだから、「伊達家」だと区別が出来ない。似たようなケースは他にもたくさんある分けです。

 

その2 「仙台藩」と言うのも間違い!

 

これね、フツーに使ってますよね、アタシらガイドもさ。(余談だけど、南町通りにある「仙台藩」ってお店は超ハイクオリティで五つ星なお店。詳しくはすこっち探検隊参照)でも、実は当時はこういう言う呼び方をしていない。(そもそも「藩」が明治生まれなんですから)

 

じゃあ、どんなふうに呼んでいたのかと言うと、

 

「支配地名」+「候」の組み合わせで呼ぶのが一般的。

 

だから、例えばアタシらの住む宮城県だったら、

 

「仙台伊達家」、「仙台伊達領」って感じですかね。

 

伊達家と南部家は今でいう岩手県と宮城県の境界線を決めるのに50年近くも争っていた。1642年にようやくその境界線が決められて、そこに境界用の塚が造られてその塚の名前が「南部領伊達領境塚」。

もうね、これが正解ってことなんですね。(藩境って呼び方してるけど、それは後からだね)

 

その3 「藩」=「県」ではなく、「県+市」

 

「藩」って江戸時代、全国に300もあったのです!そこには、全国とか行政区といった考え方は曖昧で、「あいつがこれこれこういう手柄を立てたから」という理由でそこの地域を任されたり、ミスったから石高を減らされたり、後継ぎがいないからと改易になったり、して来た分けなので、面積も様々だし、石高(今で言う税収だね)も様々だった。中には伊達家みたいに飛び地の領地を持っているところもあった。(伊達62万石の2万石は実は飛び地なんです)

 

だから、分かり易く言うと、前田家の加賀百万石みたいな大藩は今の「県」で、1万石~2万石ぐらいの小藩は今の「市」って感じかな。(昔は県の中に市があるという認識ではなく、県も市も対等だったということなのかな)

 

さて、みなさん今日の「すこっちさんに叱られる!」いかがだったでしょうか?

 

今までの「藩」に対する認識、しっかりとリセット出来ましたか?

 

そして、新しい認識をインストール出来ましたでしょうか?

 

今度、堂々と「仙台藩は~かくかくしかじかで」とか「伊達藩は~うんぬんかんぬん」なんて語っている歴史通もしくはガイドを見かけたら、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」って心の中だけで叫んでくださいね。!(^^)!(声に出して言っちゃってもアタシは知らないよ~)