すこっち探検隊が行くto「青通りまち歩きツアーに参加」 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。!(^^)!

 

1/26(土)、宮城県内は今シーズン一番の積雪を記録するという朝から一日のスタート。

 

だというのに、天気予報もすっかり無視して勢いで申し込んじゃった以前このブログでも紹介した「仙台ふららん」の街歩きツアー。寒いけど、貼るカイロお腹と背中に貼って、ついでに靴の中敷きカイロのおまけつきという完全防備で行って参りました今回のすこっち探検隊は「青葉通りまち歩きツアー」です。

 

アタシがこの「仙台ふららん」のツアーに参加するのは2回目なんだけど、参加者の方の「街歩き」に関する意識は高い。リピーターの方もけっこういるようで、こういう人達と一緒に観ると面白味もさらにアップするって感じがしますね。!(^^)!

 

今回のテーマは「青葉通りは駅前でなぜ曲がる?」である。

 

そんなことあんまし、意識したことなんて無かったんだけど、あらためて言われて観てみると、おおー確かに曲がっている!ってことに気付く。

 

 

こちらが、当日仙台駅正面のペデストリアンデッキから撮影した青葉通りなんですけど、よーく見ると旧桜の百貨店前の交差点辺りのところで左に曲がっているのが確認できるかと思います。

 

私たちの今までの感覚だと、南町通り~青葉通り~広瀬通り~定禅寺通りって仙台駅から仙台城に向って真っ直ぐに通っていて、それに交わる形で一番町から東二番町ってな具合に通りが碁盤の目のようになっていると思ってた。ところが違うんですよ、青葉通りだけ。ミョーなくびれがあるんですね。

 

この「くびれ」。なんでこうなってしまったのかと言うと、時は太平洋戦争終結の戦後にさかのぼります。

昭和20年7月10日の仙台空襲で焼け野原となった仙台市中心部。終戦後の仙台も都市計画のもとに急ピッチで復興整備が図られた分けですが、もともと仙台城から走っていた大町からの通りと仙台駅から仙台城に向って走る通りはつながってはいなかった。(フツーに商店や民家があったのね)それを、焼け野原でリセットされたのをいいことに新しい通りとして1本につなげましょうってことになった。

 

ところが、片方は仙台城から真っ直ぐ、片方は仙台駅正面から真っ直ぐな通りだからそもそも交わらない。(仙台駅が後から出来てんだから、一直線にするんだったら本来駅の位置を変えないとね)そこで、その通り同志を無理やりくっつけたという分けなのです。(だいたい角度にして10°ぐらい曲げてある)

 

なんでも、当時は曲げる事が確定して都市計画が確定してから、「何で曲げるんだ!」」的な反対する方々もけっこうおりまして、「曲げろ!」、「いや、曲げるな!」という一大論争になったんだとか。

 

ちなみに、こちらが昭和30年代当時の青葉通り側から見た仙台駅。

 

まあ、青葉通りに関するトリビアはこのぐらいにしまして、次は閉店になったアノお店について。

 

「さくらの百貨店」。閉店して取り壊し作業もまもなく始まるそうです。仙台駅の真ん前で馴染みの深かったこのお店。アタシの記憶だと、丸光→ダックシティ丸光→ビブレ→さくらのって名前の変遷があったと記憶している。

 

実は、この「さくらの百貨店」。ひとつの巨大なビルだと思っていたんでけど、実は小さいビルの集合体だったということが、分かったのです。(初耳)これが、その証拠↓

知らなかった~、こんなの。(>_<)なるほどね、小さいビルの経営者同士が一致団結して大型ショッピングセンターを起ち上げたってことのようです。

 

よく見ると、こちらに「豊ビル」の文字が、、、。

 

「そういうことは閉店する前に教えてよね~、もう実際に確認できないじゃん。」異口同音にそんなセリフが聞こえてきました。(まあ、アタシも同感ですが、、、。)

 

次に向かったのが、クリスロード商店街にある金物屋。こちらの店内の奥の方には、な、なんとこんなお宝が、、、。

 

現役バリバリで使用していた「井戸」が売り物のお皿と一緒にあったりするのです。

 

この井戸は今は使えなくなったそうなんですが、いやーびっくりです。

ちなみに、こちらのお店です。

 

そして、我々一行は、知らなかった驚愕の事実を知ることになる。それが、こちら↓

 

? ? ?

 

私たちがよく知る、「中央通り」これは、アーケード通りになっていて、「ハピナ名掛丁」、「クリスロード」、「まーぶるろーどおおまち」って3つの商店街がつながった構造になっている。この「中央通り」を歩くと、交差点ごとに区切られている(横断歩道前で信号待ちするよね)ので、ここが商店街の区切りだと思いがちだが、実は「ハピナ名掛丁」と「クリスロード」の境目は駅から見て2つめのアーケードの中途半端な位置にある。(ちょうど、右手に天下一品ラーメンがある辺り)その頭上をよく見ると、こんな立派なものが吊るされているじゃあ、あーりませんか!

 

これは何かと言いますと、江戸時代、商人街町は「町」、武士の町は「丁」と区別されていた。その境目には大手門のような門があって、ちゃんと出入りのセキュリティチェックが成されていた。その大手門のモニュメントがこれなのです。(これ、歩いていて気付いてたって人いるのかしら?)

 

この大手門モニュメント、よーく見ると表と裏でデザインが違う。

 

 

こっちが表側で

 

んでもって、こっちが裏側ね

 

表側はいかにも立派で威厳を感じさせてくれる門構え。しかも、いざとなれば戦闘用に矢座間や鉄砲座間も兼ね備えてますって感じになっている。それとは対照的に裏側はお寺などに見られる「花頭窓」が使われているなんとも穏やかな雰囲気を醸し出しているって感じなのです。!(^^)!

 

これね、今度中央通りを歩くときは、周りのお店ばっかり見ていないで、頭の上にも注目しましょう!

 

実は「名掛丁」ってさっきの境目から駅を通り越して東口の方まで続く長い通りだったんです。

それが、駅が出来たことにより分断されちゃったというわけなのね。

 

さらに、説明の中で「なるほど~」と思ったのが、このアーケードの高さ。みなさんが歩く床から屋根までの高さがちょうど12メートル。ということは、あの東日本大震災で仙台港を襲った津波の高さもちょうど12メートル。つまり、ここからまーぶるろーどおおまちまで続くアーケードの分だけ、津波が押し寄せたってことなんだって。そうなんです、仙台の街中で「リアル津波規模」を体験出来ちゃうってことなんです。

 

多くの人が行き交う仙台中心部。そのメインのアーケード商店街。実はそこにも私たちの知らないトリビアがこれだけあったんですね。

 

発見の多かった今回のすこっち探検隊、いかがだったでしょうか?

 

今度、仙台駅に行ったらぜひ「青葉通りの曲り」と「さくらのの集合体の名残り」のチェック!

 

そして、中央通を通るときは「境目の頭の上」と「金物屋の井戸」のチェック!

 

これを忘れずに! 

 

以上、すこっち探検隊でした~。!(^^)!