親戚関係におけるデリカシーをもっと考えるべきでは? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
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どうも、すこっちです。!(^^)!

 

アメブロは1年前の同じ日に「あなたはこんなブログを書いていたよ!」っていうポップアップが出てくる。

アタシが去年の1/4の内容はカミさんの実家に行ったときに感じた物を書いたのだが、まあ今年も正月ということで時期を同じくして集まったのですが、そこでまた感じちゃった事を書きたいと思います。

 

今年のカミさんの実家に帰省&親戚大集合の日は1/1の元旦だった。

 

カミさんには上に二人の姉がいて、下に一人の弟がいる。姉二とも人お嫁に行っていて、それぞれ子供も

3人、2人といる。うちは子供が2人だからアタシから見たら「いとこ」にあたる人はトータルで7人だ。

カミさんの弟は未だシングルだ。

 

今年と去年とで何が違ったのかと言えば、上の姉の息子二人がまだ20代前半だというのに、「デキ婚」で片方がすでに子供が生まれ、片方が4月出産の予定なのだという。

 

たまたま全員が集まるということもあり、そのお姉さんの息子二人が奥さんと子供を連れてやって来た。

まあ、ここまではよくある光景である。

 

しかし、アタシにはどうしてもここからが釈然としない。

 

その姉の息子夫婦が私たちに対して全く、自分たちの紹介も何もないのだ。(>_<)

ふつうだったら、「紹介します。こちらが僕の奥さんの〇〇です、この度生まれたのが長男の〇〇です。」とか「こちらが、叔母さんの〇〇さんで、こちらが旦那さんのすこっちさんです。」とか「いとこの〇〇さんです。」とかお互いに紹介をするのが当たり前だと思うのですが、、、。(-_-;)

 

そんな中、なんとなくみんなが集まり、なんとなく連れてきた赤ちゃんをみんなが幼児言葉であやし始めたりするんだけど、アタシらにしたら、「いやね、なんとなく聞いているから分かってはいるけど、そもそもその赤ちゃんは誰の子供で、名前は何で、奥さんが誰なのかも全く知らされてもいないんですけど。」

 

結局それもうやむやのまま、、なんとなく夕飯が用意され、なんとなくお別れの挨拶をして、みなさんが帰って行ったという分け。

 

あのねー、こんなんおかしくないですかー。何の紹介も何も無しのまま解散って。

 

さらに言うと、アタシは遠い昔の記憶を思い起こした。

 

いとこの存在というものは、幼少期においては大変貴重な存在だ。同年代であれば、いい遊び相手だし、お互いが行き来したり、夏休みには田舎に泊りに行ったりして、交流を深める。下手な友達以上に親密な付き合いになるんだけど、それはある時期から微妙な関係へとシフトする。

 

それは何かと言うと、いるんです。若くして必ず「デキ婚」に至る「いとこ」というのがね。別に「デキ婚」を卑下している分けでは無いんですよ。「授かり婚」ともいう分けですから、それ自体はおめでたいことだ。

だけどね、よーく考えて見て欲しい。あんたらは好き勝手に〇〇して、赤ちゃんが出来てめでたいモード全開かもしれない。

 

でも、そこにはね同じ年頃の「いとこ」という立場で、異性と付き合ったことが無いやつもいれば、そういう行為なんて高嶺の花ってやつもいる分けなんです。それ以外にも就職浪人してるやつとか、学校を中退したやつなんてのもいるかもしれない。社会的な引きこもりで、親戚が集まるという理由で親に連れて来られたってやつだっているかもしれない。そんなやつらのことを考えたことがありますか?

 

実は、アタシも同じ気持ちを味わっていた時期がある。

 

うちのいとこ(女性)も早くに「デキ婚」でお嫁に行った。そん時は親戚一同が手放しで祝賀ムード一色だったけど、そんないとこが早々と大人の仲間入り、一人前と認知されていくその一方で、どこか自分は置いてけぼりというか、その域に未だ達することが出来ない半人前認定を受けているような自分の立ち位置がとても空しく感じたのを覚えている。(-_-;)

 

別に結婚したのが偉い分けでも、子供を作ったから一人前な分けでもないでしょ!ってぇの。そこにはさ、同じ年代の立場で「あーあ また、その話題振られるのかよ。」って苦々しく思っている別ないとこの存在もあるんです。逆の立場ってものを考えてあげようよ、親戚一同のみなさん。

 

デリカシーという言葉を調べてみるとこうあります。

 

デリカシー=「気配り・心配り・感情の繊細さ」という意味があります。

つまり相手のことをまったく配慮せずに言いたいことを言ってしまう人というのが、デリカシーがない人といえるでしょう。

 

昨今、世間を騒がせている「パワハラ」、「モラハラ」は身内や親戚関係には当てはまらないのかもしれないけれど、祝賀モードの陰で嫌な思いをしている人もいるってことなんです。

 

皆さんもこんなことでディスられたこと、ありませんか?

 

「いい相手はいないの?」

 

「いつ結婚するの?」

 

「子供はまあだ?」

 

「二人目は作らないの?」

 

「転職したんだって、今どこに勤めてんの?」

 

「就職する気無いの?紹介してあげようか。」

 

ん、もー余計なお世話だっツーの!!

 

「喋りたくなったら、話すからそっとしておいてよ。」なんです。

 

以前アタシがブログに書いた「食器棚の奥の骸骨」(どこの家庭にも触れられたくない問題)ってものが、あるんですって。平穏無事な家庭の方が少ないんだって。

 

アタシの息子二人はそんなこと、別に気にしてはいないようだけど、アタシからしたら「少しは気にしろよー」って言いたい。無頓着過ぎるってのも別な意味で問題だ。

 

新年早々、親戚間のデリカシーを考えるって言うのも悪くは無いのでは?