手を合わせる、拝礼するという習慣を今、見つめ直す | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。!(^^)!

 

はっきり言って、日本という国は無宗教の国である。もちろん、厚い信仰心をお持ちの方というのも当然いらっしゃるわけですが、たいていの人は、人が亡くなった時かお盆ぐらいしか、宗教と向き合うことは無いと言ってもいいだろう。

 

まあ、これを良しとするのか悪しきとするのかは賛否両論分かれるところですが、ある意味この「自由度」が日本人の思想をがんじがらめにしない、振り幅の広さ、柔軟さに直結しているのかもしれない。

 

そういうアタシもご多分に漏れず、「無宗教」である。だけど、神様の存在と言うか、日本という国がいにしえの時代から大事にして来ている「天照大御神」や「八百万の神」という存在はなんとなく大事にしたいと思っている。仙台城のガイドを始めて、いろんなことを学んで、いろんな所に足を運ぶようになって、その思いはガイドをする前よりもずいぶんと強くなったように思う。やっぱり、「見えない力」の存在ってあると思うし、そういう部分に敬意を払う気持ちって生きていくうえでとっても大切なんだと感じるようになった。

 

以前、このブログにも書いた仙台の銀杏町にある「乳銀杏」。実は、アタシは仕事の用事でしょっちゅうこの「乳銀杏」のある神社の前を車で通るのだが、ふと「よし、ここを通る時は必ず立ち寄ってあの御神木に手を合わせて帰ろう!」ということを思いついた。

 

時には時間が無くって、早く帰社したい時もあるのだが、「あーそうそう、お参りしないとね。」ってな感じで今のところ、欠かさずにこの道路を通るときには「乳銀杏」にお参りしている。

 

するとね、まあ不思議なことに、仕事上でそれほどヤバい状況やピンチに陥るようなことが無くなった気がするんです。まあ、それなりにピンチの匂いってのもあるんですが、それほど大事にならずに収まっている。まあ、たまたまかもしれないし、気のせいかもしれない。

 

でも、アタシは信じたい!っていうか、信じてる。「これって、乳銀杏に欠かさず手を合わせているお蔭だよねって。」樹齢1200年!実に奈良時代から宮城野の地に根を張って、今日までの歴史の移り変わりを

見守ってきた「乳銀杏」。その神通力はある意味、社を構えている古い神社(例えば塩釜神社)以上のものがあるはずだと、、、。

 

「鰯の頭も信心から」なんてことわざもありますが、自分がこうと決めたことを信じ続ける、そしてそれを習慣化するのって、なかなか出来そうで出来ない。人間ってどうしてもサボり癖というか、自分に都合のいい様に考えてしまう部分が、必ず心のどこかにあって、その芽が突然顔を出す。「今日は、疲れてるからお休みね~。」とか、「ダイエットはこれ食べた後からね~。」とかね。

 

そんな誘惑に負けない、自分の心の中の審判が常にジャッジしてくれる機能を維持するためにも、何かしらの肯定的な理由づけ、儀式みたいなものって必要なんだと思うんです。それには、手っ取り早く何が良いかと言ったら、何かに手を合わせて拝むってことだったりするんじゃあないのかな?

 

私はこれからも「乳銀杏」さんへのお参り、続けていこうと思ってます。さらに言うと、せっかく青葉山に行っているのに、仙台城跡に神社があるのに、素通りして帰っているってのもどうなんでしょう。

 

やっぱ、これからは「青葉神社」へのお参りも習慣化しよう。そんなことをふと思った、すこっちでありました。!(^^)!

 

さて、みなさんの「乳銀杏」ってなんですかね?