先回りする親の思いと言うのはなぜ子供には伝わらないのか? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
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どうも、すこっちです。!(^^)!

 

さて、今日はまるで尾木ママが話題にでもしそうなネタですが、実はこれって子供を持つ親としては誰しもが思う、ジレンマだったりするのです。

 

仮に結婚もしていなくって、子供がいない人でも、自分より年下の後輩なんかに対して抱くこともあるかもしれない。たぶん、これは昔からある永遠の解決できていないテーマなのかもしれません。

 

では、具体的にみていくことにしましょう。

 

アタシも二人の息子を持つ親なんですが、常日頃から彼らの言動を見ていると「文句を言いたいこと」、もとい「アドバイスをしてあげたいこと」はたくさんある。

 

・毎日、毎日母親に起こされないと起きれないのかよ!

 

・それって、スマホ中毒じゃん、いい加減今から気を付けないとやばいよ。

 視力も絶対落ちるって。

 

・天気良いのに一日中部屋にこもって、スマホ三昧かよ。ほかにやること無いの?

 

・ティーンエイジャーの頃にしかやれないことってあるんだよ。

 

・読書は大事なんだよ、今の内からやってたらあなたの将来は有望なのに。

 

・あのねー、あんたらには「母の日」や「父の日」を祝おうって気が無いのかい?

 

もー挙げたらキリが無いんです。でも、これって、ボヤキや愚痴というよりは世の中というものを渡ってきた先輩としての「良きアドバイス」なんだけど、えてして本人にはそのありがたみって伝わっていない。

 

じゃあ、あんたが学生の頃どうでしたか?って聞かれると、確かに親の意見に素直に耳を貸す自分がいたかどうかって言われると、正直「うざったいな~。」、「うるさいな~。」って感じていたことは否定が出来ない。アタシの時代、スマホは無かったけど、ファミコンが全盛だった。バイトして稼いだお金が湯水のようにファミコンソフトに消えて行った事を考えれば、休みの日に朝から晩までテレビ画面に向かってゲームをしていたアタシと弟を母親はどんな気持ちで見つめていたんだろう、って思う。

 

たぶん、この中学~高校の世代って、自分がこうだと思ったことに対して広く周りの意見を聞き入れるって言う、視野の広さというか寛容さというか、ようは「聞く耳」を持っていないんだろうね。(>_<)

 

この年頃に「聞く耳」を持っていたら、「あんたは無敵だよ!」って次男にも言ったけど、たぶん伝わっていないだろうな~。(-_-;)

 

タイムマシンを題材にしたドラマや映画はたくさんありますが、その時代の人に「将来、こうなるからこうした方がいいよー!」って言ったところで、「はあ?この人何を言ってるの?」ってしか取られない。

それと、同じことなのかもしれないですな~、親のアドバイスって。

 

アタシの読んだ本の中で、今でも心に残っている言葉にこんな言葉があります。

 

「人は器に見合った生き方しか出来ない。自分がこれで良いと思っている時は、周りがいくら本人のためと思って与えたアドバイスも決して相手の心には届かない。そのアドバイスを心から受け入れられるようになる時というのは、肉親との死別、失恋、事業に失敗、離婚、病気など悲しい体験を克服しようとした時か、読書で多くの疑似体験を積み重ねていった時である。」

 

同感です、東日本大震災で親を失った子供達って、ある意味もう精神的に自立してますもんね。

 

誰か、今どきの世代が一発で目を覚ますような「喝!」の入れ方って、知りませんかねぇ。(-_-;)