どうも、すこっちです。!(^^)!
皆さんが住んでいる都道府県。これは、明治時代に行われた廃藩置県によるものだということは、教科書で習ったでしょう。実際のところは、藩→県に変わってからも県の名前が変わったり(宮城県も最初は仙台県だったからね)合併して一つの県にしたりと変遷があって、今の47都道府県に収まったのです。
その中で、仙台藩は戊辰戦争で負けちゃったもんだから、新政府軍に石高も62万石→28万石に減らされちゃうは、領土もいいように分割されていじられまくった。けれど、明治9年にはなんとか今の県境に落ち着いたのです。(良かったね~、宮城県民の皆さん)
東北地方としては、けっして面積は広くはないけれど、、海もあり山もあり、それでいてコンパクト。今は東北唯一の政令指定都市仙台を中心に活気みなぎる宮城県。
実を言うと江戸時代、「藩」と言うのは全国にだいたい260ぐらいありました。まあ、当然増えたり、減ったりしていったんですけど、その中でも宮城県ってその土地(藩)が分割されずに、そのままの領土と領民が県にスライドした県なんですね。(仙台藩→宮城県)
これって、大変貴重なことなんだよね。だって、青森県=5藩、秋田県=7藩、山形県だけでも14の藩に分かれていたし、福島県の中にも7藩あった。そうした中、我が宮城県はと言うと、岩沼藩と中津川藩と一関藩という支藩はあったものの、ほぼほぼ仙台藩=宮城県。しかも、藩主は誰って言うと、そう皆さんよく御存じの「伊達政宗」から続く伊達家が代々治めてきたんですよね~。!(^^)!
(実は、岩手県=盛岡藩のみで藩主もずっと南部家だから同じだけど、広いからね)
他の藩はと言うと、分かり易い所で言えば山形藩。最上義光で有名なんだけど、3代目でお家断絶、お取り潰しになっちゃったんですね。他にも藩主がコロコロ変わったり、途中から天領と言って幕府の直轄地になっちゃったところもありまして、なかなか県民意識というか藩民意識が心一つってな感じにはならなかったというわけ。
そうした痕跡は今でも根強く残っているそうで、例えば、福島県民だけど、会津地方の人と福島や郡山周辺の浜通り地方といわき市辺りでは全然違った地域感情を持っていると聞いたことがありますし、山形県も庄内地方と置賜地方と山形市周辺では全然カラーが違ってくるみたいです。
そういう意味では、伊達家=仙台藩=宮城県というラインで来た、「♪だん・だん・どぅ~び・どぅ~び・どぅばだ~♪」の「あ~宮城県」で良かったのかもしれませんね~。(^o^)