どうも、すこっちです。!(^^)!
ちょうど今年の2月辺りからでしょうか?私がワインなる飲み物と本格的に向き合うようになったのは。
思い起こせば東日本大震災の後、ふとしたきっかけでウィスキーにハマり、独学でウィスキーを学び始めた、あの頃。周りに教えてくれるような人は当然いないので、自分のこづかいを取り崩して、ウィスキーを買って来ては試していたっけ。
そんなアタシが今は、ワインに首ったけなのです。もちろん、「すこっち」を名乗っている以上、ウィスキーと絶交したわけではないので、今でも愛飲家の一人ではありますけれども、なんつーのかなーワインの奥深さというのか、未知なる可能性というか神秘性がまたいいんだよね~。(>_<)
でも、実はお酒って掘り下げていけばいくほど、今まであんまし気にも留めていなかったことが、ミョーに腹立たしく感じてしまうことってあるのです。だから、街のフツーの居酒屋に行くと、かなりの高確率でガッカリ感を味わうことがある。
例えば、20日の日曜日、アイスリボン観戦を終えて友人と夕食を食べたのね。当然、お酒も注文したんだけど、その時アタシは迷ったの。「果たして、このお店でワインを頼んでみるべきか?」最初のうちはビールやハイボールだったんですが、思い切って頼んでみたんです一種類しかないグラスワインをね。
そしたら、どんなのが出てきたと思います?グラスにいかにも「今洗ってきました~。」て感じの水滴がべっとり。おまけに出てきたワインは水っぽくって飲めたもんじゃあなかった。(まあ、飲んでるんですけどね)
以前、ワインに興味・関心が無い時のアタシだったら、たぶんワインを注文するという行為自体をしていないと思う。仮に頼んだとしても、そのワインの水滴や薄い味に対して「こんなもんかな?」ぐらいにしか思わなかったのかもしれない。
つまりはこれが、アタシのよく言う「見えないものが見える」ってことなんだと思うのです。
予備知識が無ければ、いくらじっくりと観察をしたところで、そこには疑問も興味・関心も湧かない。
物事って、掘り下げれば掘り下げただけ収穫がある。さつまいもやじゃがいもと一緒なんですね。
さらば、不感症!人間というものは感じとる能力が衰えてしまうと、生活自体が予定調和になってしまって刺激を刺激と感じられなくなるのです。これって、相当ヤバいです。
最近だと、「スマホ中毒」ね、。これって、自分がスマホがやれていれば、親兄弟がケガや病気に見舞われようが心配もしないし、お見舞いも行かない。身内が亡くなっても通夜にも行かない。髪がボサボサでも、服が着たきり雀でも、おかまいなし。彼氏・彼女?そんなの面倒くさくってウザイだけ。
もう、こうなってしまったら、「あんたはスマホと心中してしまった方がいいんでないかい?」と言いたいよ。
人間として生まれてきた以上、死ぬまでの限られた時間に出来る限りのことを経験しないで死んでしまうなんて、もったいないと思いませんか?楽しいことはスマホ以外にもた~くさんあるのに。(-_-;)
アタシの考え方が古いって言われるのかもしれないけれど、私が子供の頃、青年期、そして大人になって社会人になりたての頃、考え方は所々変わった部分はあるけれど、少なくとも結婚して、自分の子供の顔を見なきゃあ、死んでも死に切れないと思ってたもんね。
みなさんにもあえて、言いたい!
見たい・知りたい・学びたい、そうした好奇心はいわば自動車のエンジンと一緒なのです。
好奇心を失ってしまったら、それは、棺桶に片足を突っ込んでいるのと同じなんですよ。