どうも、すこっちです。!(^^)!
「花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに」
今日はいきなり百人一首から入ってみました。(百人一首で始まるブログもそうそうないだろうな)
この歌の作者は誰あろう、あの「小野小町」であります。好奇心旺盛な私が、「百人一首」を覚えよう!と思い立ち、本を買ってきて覚え始めましたが、最初の20首ぐらいで挫折してしまいました。なんとも三日坊主な話でお恥ずかしい限りなのですが、なぜか唯一今も忘れずに覚えているのが、この一首なのです。意味としては、「あーあ、アタシも歳とっちゃったよ。」って感じの意味なんですが、私もそんなことを感じる年代に差し掛かって来た時に、「老い」というものをこれだけ美的に表現しているこの歌をあらためて見つめ直してみたいと思った次第です。
さて、本日も伊達政宗の人に話したくなるトリビアな話に触れていきましょう。
伊達政宗公の趣味の中に「料理」というのがあります。かなりの食通でもあった政宗は、「少しも又、料理心のなきは、拙き心なり」(料理を愉しむという気持ちの無いやつは、つまんないやつだね)なんて書き残していたりするぐらいのグルメだったんですねえ。
そんな政宗は江戸の仙台藩の屋敷に家康1回、秀忠7回、家光3回接待している。
この時期、特に外様大名は将軍家に難癖をつけられておとり潰しに成ったら大変だからね~、ご機嫌取りというか、いかに親密な関係を保つかってことに粉骨砕身だったわけなのです。
でも、料理&おもてなし好きの政宗だったので、これはこれで、自分の満足感も満たしていたのかもしれないですね~。!(^^)!
さて、寛永五年(1628)三月十二日、徳川秀忠を藩邸に招いての饗応の際、事件は起きた。
政宗公は自ら秀忠をもてなそうとして、自分で御膳を運んで行こうとしたところ、幕府世話役の内藤外記正重が、橋を持って追いかけて来て、「おい、おい、ちょっと待った、その料理、毒見してないじゃん!そのまま秀忠様に出すってありえないでしょ!」と言った。
これに対して政宗公は、さてなんと返したでしょうか?
「あー、ごめん、ごめん、忘れてたよ。そだねー。将軍だもん毒見しないとねー、内藤サンキュウ。」
なあんて、言う分けないよね、天下の伊達男が。
政宗はこう、言い放った。(毎度のことながら、砕けた文章で書いてます。)
「名前が外記(げき)だけに、こっちが激怒だよ。何言ってんの!政宗ほどの者が、将軍を毒殺するってかー、あり得ないから、なめんじゃねーぞっつーの。そりゃね、10年前なら天下を奪おうと思ったこともあったよ。だけど、仮にそうだとして毒殺なんて卑怯な手を使うかっつーの、見くびるんじゃねーよ。こっちとらそん時は堂々と江戸城の大手門前に馬を乗り寄せて、尋常に勝負するから、心・配・御・無・用。」
廊下で大声で怒鳴った政宗の声は、奥の間にいた秀忠にも聞こえた。
これを聞いた秀忠は目に涙を浮かべ、政宗公のもてなしに感謝したと伝えられている。
まあ、家臣の内藤も将軍に命掛けてますから、こういう行動に出てるんだけど、将軍への♡は圧倒的に
政宗の方が上だったというか、伝わった感がありますな~。(まあ、内藤には助演男優賞あげときます)
アタシもいろんな伊達政宗のエピソードを収集してブログに書いていますが、つくづく思うのですけど、ホントこの人って、武勇伝であったり、エピソードが尽きない。しかも、「伊達男」という軸がぶれない。それだけ魅力的な人間だったってことなんでしょうね。!(^^)!