どうも、すこっちです。!(^^)!
最近、寒いね~。もはや、底冷えって感じがします。
そんな寒い中、私は仕事でほぼほぼ1日中外でした。貼るカイロが無かったら、相当ダメージを喰らっていたかもしれません。何とか、家にたどり着いて今、このブログを書いていますが、正直眠たさ半分、疲労感半分といったところでしょうか、、、。(-_-;)
さて、我らが伊達政宗と犬猿の仲だった人と言えば、誰でしょう?
まあ、ある意味蒲生氏郷なんてそうだったかもしれませんなぁ~。葛西・大崎一揆の時なんかは相当なつばぜり合いをしていたことは事実だし、見知らぬ土地で氏郷クンがコケてくれたら儲けもの的なノリはあったんでしょう、きっと。ただ、結果的には、須田サンの裏切りに合って、窮地に追いやられたのは政宗の方だったんですけど。
じゃあ、本当に犬猿の仲だったのは?というと、はい、隣の藩にいましたね。「愛」の似合う人が、、、。
そうです、名前を「直江兼続」って言います。大河ドラマ「天地人」の主役を務めた方ですね。
「愛」を前立てに掲げてはいますが、別にこの人「愛」の伝道師だったりしたわけではなく、
この「愛」って、「愛宕権現」、「愛染明王」、「愛民」の精神から取ったということのようです。
どちらかというと、この人の性格って知っている人は知っているかもしれませんが、ストレスがMAXに
達すると、「クリリンのことかー!!」みたいに、爆発してしまう人なんです。(>_<)
実際に存在していたのかが疑問視もされている「直江状」だって、よりにもよって時の最高権力者である家康クンに正面から正々堂々と喧嘩を吹っ掛けるなんてありえる?いやあ~、いい大人ならありえないでしょ。つまり、この人は頭が切れるのは分かるけど、プッツンしてしまうと何をしでかすが分からない人だったのであります。
そんな「プッツン大魔王 直江兼続」クンですが、伊達政宗とは本当に仲が悪かった。
だから、仲が悪かった逸話がたくさん残っているのです。
ある時、伊達政宗が珍しい金の大判を大名たちに見せながら、自慢をしていた時がありました。まあ、こんなことは今の時代でも、よくあることですね。そこで、政宗が直江兼続に対して「手に取って見てみるように」と言ったところ、なんとその大判を扇子に乗せて受け取り、跳ね上げながら裏表を見たのです。
当然、頭にきた政宗が「なぜ手に持って見ないのか?」と聞いたところ、直江兼続はこう答えました。
「私の手は上杉家のためにあるので、汚いものを触るわけにはいきません。」と
いやーどんだけ、プライドが高いのか?それともどんだけ、政宗のことを嫌っているのか?
さらにもう一つ、
徳川政権下となったある日、兼続クンは江戸城の廊下で政宗とすれ違った。大名である政宗に対して、兼続は大名である上杉景勝の家臣なわけだから、フツーに考えたら兼続の方からあいさつをして当然なのに、見事に無視!「おい、おいちょっと待て!この伊達政宗にあいさつなしかよ!」と呼び止められる兼続クン。振り返った彼は、はい、みなさんの期待を裏切りませんよ~、この人は。こう言いました。
「ああ、誰かと思えば政宗公でしたか。戦場では何度かお目に掛かっていますが、顔が分かりませんでした。いつも負けて逃げ帰る後姿しか見ていないもので。」
いやー恐れ入ったよ、怖いモノ知らず!あんた、どんだけ上杉家のプライドかぶれしてんだい?
そりゃあね、内心はさ、「上杉家の方が名門で強い!」とか思うのは勝手ですよ。だけどさ、いい大人なんだからさ、そこはもうちょっと礼儀っつうもんはわきまえるもんじゃあないのかね。ホント、大人げない。
さらに言うと、こんな失礼なことを平気で言わせてしまう上司の「上杉景勝」ってなんぼのもんじゃい!
所詮はね、「上杉」って名跡だって、謙信が山内上杉家の家督を譲り受けてGET!したものだし、
(上杉家から竹に雀の家紋をもらった伊達家の話は、一旦置いておきましょうかね)上杉家事態が、「謙信公」というスーパースターの貯金で家名を死守してきたようなものと言っても、過言ではない。
まあ、ここで直江兼続フリークと「長谷堂合戦」をする気は毛頭ありませんけど、そういう「歴史ネタ」で
一席設けて、盛り上がってみたいものですし、この件について直江フリークの反論を聞いてみたいような気もします。
そういや~、わたくし「天地人」って見たことないのよね~。面白いのかしら?
どこまで行っても、大河視聴率№1の「独眼竜政宗」に遠く及ばないとは思うけど、勉強のために観てみるのも悪くないのかな?ひょっとして、この逸話のシーンて出てくるのかしら?
とかなんとか言いながら、直江兼続への対抗心が丸出しのすこっちでありました。!(^^)!