どうも、すこっちです。
最近読んでいる本なんですが、「伊達政宗と時代劇メディア」。
実はこれ、書店などには売っていなくて、とある印刷会社のHPから注文をして
買いました。
「時代考証学会」第4回フォーラムin仙台」というのが、2014年に開催されていて
そのフォーラムの内容を本にしたものなのですけど、これがとっても興味深い内容。
いわゆる今までまことしやかに語りづがれてきた、伊達政宗に関することが
よーく分析して考えてみると、明らかに違う!もしくはありえない!という内容が
これでもかと言わんばかりに網羅されている。
その中でも、表題の「支倉さんの~」なんですが、国宝であり、世界記憶遺産にもなっている
支倉常長さんに対して「初めてのおつかい」とはずいぶんとご無礼な表現になってしまった
ことについては、さきに謝っておきます、 ごめんなさい。m(__)m
「慶長遣欧使節」について、かいつまんで今までの通り一辺倒な説明をしますと、
伊達政宗の命を受け、支倉常長を大使として、サンファンバウティスタ号なる船を建造し、
石巻の月の浦から出港し、メキシコに向けて旅立った使節団。
目的はメキシコとの貿易を認めてもらうため。
結果、目的は達成できなかったけれど、支倉常長の功績や持ち帰った品などは
歴史的には大変価値のあるものとなったのです。
この慶長遣欧使節について、よく話題にあがるのが、
①政宗は幕府転覆を狙って、スペインと同盟を結び艦隊を呼ぶつもりだった。
②外国との貿易を交渉しに行ったのは2年前に起きた「慶長大津波」の復興資金を稼ぐため
③外国との貿易で莫大な利益を上げることが目的だった。
この①~③、実はすべてが疑わしいようです。
①はそもそも当時の大国スペインがなんで、そんなアジアのはずれにある日本に
そこまでリスクを冒して、軍隊を注ぎ込むのか?
だいいち、仮に2万人の軍隊を船で日本まで輸送するとしたら、サンファン号クラスに
ぎゅうぎゅう詰めで乗せたとしても、300人。300/20,000=67隻でしょ武器や物資なんかを
含めたら100隻以上は必要なわけです。
当時は帆船ですから、いわば風任せ。1年も2年も掛かって無事に日本にたどり着くかどうかも
分からないですし、船に乗っている人も生き悪くなって、亡くなっちゃう人もいるでしょう。
秀吉の朝鮮出兵もそうだけど、海路って補給も含めて、そもそも相当無理がある。
②については、そういう一面もあったのかもしれないけれど、実は当時は津波で亡くなる人
よりも飢饉で亡くなる人の方がケタ違いに多かった。なので、むしろそちらの方が藩としては
深刻な問題だったんだそうです。
これは、③にも関わってくる話なのですが、貿易するには距離が遠すぎるよメキシコ。
いったい、どれぐらいの量の輸出・輸入貨物のやり取りが出来たのかも分からんし、
無事に行って帰って来れるという保障も無いって言えば無いわけで、、、。(-_-;)
そう考えると、この「慶長遣欧使節」ってようは徳川幕府と伊達政宗のジョイントベンチャー
事業なんだけど、果たしてどこまで目算があって始めたものなのかがいまいち分からない。
支倉さんが大使として選ばれて行ったのだけれど、外国の国家元首クラスとの交渉役とも
なれば、どう考えても政宗の親族かトップクラスの重臣が選出されるはずでしょ。
そういう見方をすると、支倉さんはガンダムで言うところの「ホワイトベース」的な意味合いが
強かったのではないか?つまり、そこそこ能力はあるんで、前線でせいぜい頑張ってきてね。
万が一、部隊が全滅しても大勢には影響ないからさ、みたいなね。(-_-;)
ずいぶんと独断専行的な内容になってしまいましたけど、
分析する専門家の見方からすると、歴史的に偉大な功績も色褪せてしまう要素は
多分にあるということなのですかね。
こうしたこともきちんと踏まえて、私たちガイドはお客様に説明をしていかなければならない。
歴史的ロマンはロマンのままで、でも見直されている歴史認識はちゃんと散りばめて。