些細なことに気づける人、気づけない人?いや気づかない人 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

私たちのような会社勤めをしている世代だと、日常のちょっとしたことに気づける人と

気づけない、いや気づかない人が意外と多いように思うのです。

 

つまり、「自分に関係が無いから」とお思いなんでしょうね。

仮にこうした人たちを「別に属」と呼ぶことしましょう。

 

・シュレッダーを掛けた紙屑が床に落ちていても別に~。

・ちょっとした運びものをみんなで手伝っていても別に~。

・テーブルの椅子が引いたままになっていても別に~。

・雑草が伸びていても、別に~。

・みんなが使うゴミ箱のゴミが満杯になっていても別に~。

・etc~

 

まあ、挙げだしたらきりがないのですけど、こうした情景を見るにつけ

モラルの低下というか、人間の感性だけに任せっぱなしにしてしまうと、

会社というものは、こんなにも他人事の宝庫になるということなんでしょうかね。

 

ある時、シュレッダーのゴミとしてはけっこう大きめのがみんなが通る床に落ちていた。

私は気づいていたんだけど、「さて、誰か拾うのかなあ~。」とそのまま傍観していました。

それから、時間は経過し、、、。

 

偉い人からそうでない人まで、いろんな人がそこを通ったけど、

けっきょく、夕方までそのまんまだった。目についているのは明らかなのに、、、。(-_-;)

(もちろん、私が捨てましたけどね。)

 

意識と言うのは不思議と鉛筆の芯みたいなもので、研磨すれば研磨するほど

シャープになっていくのに、ほったらかしにすればするほど、どんどんその鉛筆の先は

丸っこくなってしまう。書くときの切れ味はどんどん鈍くなる。

 

「KY」と称する、空気が読める読めないという周りの雰囲気、同調することを良しとする

風潮になってしまった昨今、逆に気づいていても見過ごすことを良しとする世の中になりつつあるのは悲しいことです。

 

でも、どうなんでしょうか?太古の時代から、細やかな神経、心遣いが出来ることが日本民族の長所でもあったはず。

 

和歌や俳句なんて、季節の変わり目、風の流れ、、匂い、鳥のさえずり、川のせせらぎ

そうしたことに気づける日本の民だったからこそ、素晴らしい作品残してこれたわけで。

 

このブログを読んで頂いている皆さんなら共感して頂けると私は勝手に思ってますが、

人間としての「心の意識」は常にハイクオリティ、ハイブリッドでありたいものです。

 

あ~念のために言っておきますが、私は別に細かいことにいちいち文句付ける

うっとおしいおじさんではありませんので、誤解の無いように。m(__)m