今日は「子供の日」
だからというわけではありませんが、こんなネタです。
以前、このブログでも書きましたが、私は根っからのラジオ党です。
なので、自宅では朝でも夜でもとにかくラジオを付ける。
そうすると、いろんな話が聞けるのがラジオのイイところ。
先日、月曜~金曜まで朝05:30からやっている「生島ヒロシのおはよう一直線」を聴いていたら、生島さんがこんなことわざの話をしていた。
「親の意見となすびの花は千に一つの無駄もない」
「うん?なになに それは何やらためになりそうなフレーズだぞ!」
私の「フレーズアンテナ」が反応したのは言うまでもありません。
早速、ググってみますと、意味はこんな感じでした。
茄子というのは花が咲くと必ず実を付ける。
親の意見というのも同じように、すべて子供のためを思って忠告を
しているわけで、一つも無駄が無い。
なので、子供は親の意見を良く聞くべきである。
「おぉー 素晴らしい!そうなんです。」
「先人も分かっていたんだなあ~。」
「まさに私が求めていたようなことわざじゃあ、あ~りませんか。」
でも、このことわざに心を揺り動かされて、心を入れ替える子供が
どれくらいいることか、、、、。(-_-;)
思い返してみると、自分がティーンエイジャーだった時は、
親の小言に対して、
「もー、うるさいな~。」
「そんなことは、分かってるって!」
そう言って、まともに聞こうとしていなかった私、、、。(>_<)
そうなんだよね~。不思議なもので、その時は、親が自分のためを思って助言してくれていると、どうしても肯定的に受け止められないんだよね。(単なる、反抗期で片付けちゃあ、ダメダメなんだろね)
その時のなすびの花を、もう少し実にする方向性で考えられれば
ひょっとすると、人生が変わっていたのかもしれない。
(そんとき、うちの親の口からこのことわざを聞けていたら、、、。)
そして、人の親となり、今度は自分がなすびの花を咲かせてあげる
助言をする立場になったんだけれど、これがまた歴史は繰り返すじゃあないんだけど、
「おいおい、あんたせっかくのなすびの花咲かせなくていいの?」
と我が息子に言っても、
「あー俺、なす嫌いだから別にいいよ。」
と返されてしまうような展開、、、。(-_-;)
つくづく人間を育てるというのは難しい。
人は器に見合った生き方しかできないものです。
自分が自分の器の中で、それで良いと思っている時は
周りがいくらその人のためを思ってアドバイスをしても、
決して耳には入らない。
そうした周りの人の助言や忠告が本当にありがたいと感じ、
水が砂に浸み込むように受け止められるようになるのは、
例えば、自分の大事な人が亡くなったとか、勤めている会社が倒産したとか、大失恋をしたとか、会社でとんでもない大失敗をしてしまったとか、離婚したとか、
自分がそうした不幸のどん底を味わったと感じて、物事に素直に
向き合い、心が浄化されたような状態になって、
心を入れ替えるぐらいの気持ちにならないと
正直、難しいのかもしれないですね。
(そういう経験をさせてやれれば理想なのでしょうけど)
我が息子が、その境地にたどり着くのはいつの事やら。(-_-;)
なかなか奥が深いこのことわざ。
皆さんも、ちょっと噛みしめてみてはいかがです?