知っておきたい!定禅寺通りの彫刻の名前 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

仙台と言えば、杜の都。そして、その象徴と言えば、勾当台公園と

定禅寺通りと青葉通りでしょうか。

 

「定禅寺」というくらいだから、もともと昔は本当にこの名前のお寺があった。

仙台城からこちらの方角が鬼門に当たるため、その「鬼門封じ」のために

「定禅寺」はあったのです。

 

そうして、江戸時代から「定禅寺通り」は存在していたのですが、

戦前はせいぜい12mの通りでした。

 

そのため、交通量が多いのに混雑していて、にぎわっているのに

なぜか混み混みのイマイチな通りだったのです。

 

そこで、ある事件をきっかけに「定禅寺通り」が生まれ変わります。

その事件とは、、、、。「仙台空襲」

 

昭和20年7月10日未明に、B29が123機来襲し、912トンもの爆弾を投下していきました。

仙台は焼け野原、1,000人近くの人が亡くなりました。

 

戦後、この焼け野原の仙台市を復興させるために一人の男が立ち上がります。

その名は、時の仙台市長「岡崎栄松」。

 

彼の発案により、土地区画整理が始められ、将来は車社会となり、広い道路が必要だ。

という先見の明によって、12mだった定禅寺通りは46mの現在の道幅になったのです。

 

不思議なもので、空襲で焼け野原になった街ほど区画整理が進んで、

道路の拡幅が進んで、住みよい街になっているというのはナントも皮肉な話。

(これって、アメリカ軍に感謝なのかい!?)

 

そんな、定禅寺通りには見事な彫刻が3つあります!

光のページェントなどに行ったことのある人は当然わかりますよね。

でも、名前と作者は意外と知らない人が多い。

 

すこっちのブログをご覧頂いたのも何かのご縁でしょう。

これを機会に覚えちゃってください!

 

①エミリオ・グレコ作「夏の思い出」

②ジャコモ・マンズー作「オデッセウス」

③ヴェナンツォ・クロチェッティ作「水浴の女」

 

どこに、どれがあるかはぜひご自分の目でお確かめください。(^○^)

 

そう言えば、「ブラタモリ」でもタモリさんが彫刻のポーズの真似してたっけ。

あーあんまり真似しようとして腰をひねらないように注意しましょうね。