戦国武将の兜に付けた、ちょうど野球帽のチームマークのようなもの(例えばカープだとC)
それが「前立て」と呼ばれるものだ。
まあ、ようは戦場で恰好良さを競う(!?)トレードマークのようなもの。
昔は写真もインターネットも無いわけで、その人が本当に目当ての武将なのかを
確認する術がない。(だから、物見や偵察部隊の情報が重要視された。)
そういう意味では、昔は正々堂々が基本だから、前立てや旗印で「自分は武将の〇〇だよ。」
ってアピールする名刺代わりの一面もあったんでしょうかね。
そんな中でも、「伊達政宗」と言えば、三日月を左右非対称(向かって左が短くて右が長い)
にした前立て。(むすび丸も子の前立てを付けている)
これは、妙見信仰から来ている。つまりは、北極星って動かないし、夜道では目印にも
なるのだけど、いわゆる天界の中心、唯一無二の存在として神格化され、妙見菩薩と
いう神様を信仰することが武運長久として当時の流行だった。
太陽は天照大神(あまてらすおおみかみ)だし、月は(月読尊(つくよみのみこと)
いずれもメジャーな神様。
つまり、戦場で勝利をつかむためには、今も昔も大事なことは神頼みだった。
ちなみに、昔は太陽と月はどっちも〇だと区別がつきづらいので、月は☾が使われた。
それに、三日月は「弓張月」とも言われ(弓の形に似てるでしょ)、弓は昔から最強の
兵器だったので、それにあやかって武運長久の願いも込められていたのです。
さて、政宗の前立ては先にも触れたけど、左右非対称の三日月。これには、理由があって
左の腰に差した刀を右手で抜いた時に、刀がぶつからないためである。というのが、
仙台城ガイドの定番の話として伝わっている。
この前立てについて、調べてみるとなかなか面白い。
実は、政宗以外にも三日月の前立てを使っていた有名な武将が二人いる!
一人は、尼子に仕えた「我に七難八苦を与えたまえ!」という名言で有名な山中鹿之助。
(こちらは、左右対称な感じの三日月かな。)
そして、もう一人はあの戦国時代の最強戦士!「I am 毘沙門天」こと上杉謙信。
これは、画像検索で調べてもらうと分かるのだけど、謙信って欲張り~。
なんと、前立てに太陽と月のどちらも使っている。(だから、強いのか?)
ほかにも伊達成実の前立ての「毛虫」など調べると、いろいろと意味があり面白い。
お時間のある方は、ネットで調べてみる?
それとも仙台城で伊達武将隊の頭に注目してみます!?!(^^)!