以前、9/12のブログにも書きましたが、古典というものは、普段生活に追い立てられ、
忙殺されている私たちがふっと立ち止まり、自分を見つめ直す良いきっかけになるような
つぶやきが意外と盛り込まれているのです。
今回は「枕草子」からそんなつぶやきを拾ってみました。
(ただし、現代文表記です)
「近いようで遠いもの」
御所のすぐそばのお祭りは帰って滅多に行かない。
(地元のお祭りには意外と行かないのと一緒ですね)
仲の良くない兄弟や親族。
大晦日と元旦。
「遠いようで近いもの」
極楽・舟の路・男女の仲
「がっかりするもの」
男も女も、言葉遣いの卑しいのが何よりも良くない。
ものの言い方ひとつで上品にも下品にもなったりするのは不思議なことだ。
いかがです!平安時代の人の考えも現代人もそんなに考え方は
変わらないって気がしませんか?
この中で注目してほしいのが、「がっかりするもの」という部分。
私たちも普段、会社を中心とした社会生活の中に身を置いていますが、
この言葉遣いって意外と大事である。
汚い言葉や相手に不快感を感じさせる言葉を平気で使う人がたまにいたりします。
これって、たぶん本人は気にしていない。っていうか無意識なんでしょうね。
けれど、それを聞かされる方、受け止める相手によっては非常に不快感を感じる。
もちろん、親しい間柄や気心の知れた仲であるならばそれは当てはまらない。
会話というのは相手があって成立するわけで、その会話の中心である言葉遣いには
当然、相手を尊重し、最大限の配慮を払うべきだと思う。
よく、上司と部下の会話を聞いていると、その点が顕著に表れる。
たいていの場合、上司が部下に対して態度や言葉遣いが高飛車になり、
発言も横柄なものになる傾向がある。(-_-;)
しかし、本当に人間の出来た人というのは実に温厚で、スマートである。
そして、自分達よりも立場の弱い人に対してはより言葉遣いも丁寧である。
つまりは、にわかトップ気取りの人ほど威張りたい、のではないだろうか?
そう、実はそうした言葉遣い一つとっても、部下はきちんと観ている。
そして「あの上司は〇〇なやつなんだ。」とレッテルを貼られている。
「無意識を有意識に変える!」それだけで、景色は違って見えるのかも。
言葉遣いはその人の心の内を表すもの、注意したいものです。!(^^)!