さて、今回は8/30に続くPART2である。
伊達家は、明治維新を乗り越え一応、現在も続いている。
その伊達家が江戸時代、滅亡(お家断絶、おとり潰し)しそうなピンチがあった。
一つ目が8/30に書いた「伊達騒動」そして今日紹介する2つ目が、
いわゆる「8代~10代への奇跡のバトンパス」事件である。
これは、たぶん私なりに考えると、「アンビリーバボー」のネタにしても
いいぐらいある意味、深い話のように思う。
年代の話はこの際省略します。
仙台藩伊達家8代藩主伊達斉村(なりむら)が22歳の若さで亡くなった。
彼には、生まれたばかりの1歳の長子周宗(ちかむね)がいた。
当時の幕府の規則では、「諸侯は17歳に満たないと跡取りを立てることが出来ないし、
御目見(おめみえ)と呼ばれる将軍との謁見を済ませておかないと、後継ぎには
認めてもらえなかった。
ところが、斉村の死を隠しておいて時間を稼ぎ、伊達家の重臣たちは裏工作の限りを
尽くした。11代将軍德川家斉の娘との婚約までも取りまとめ、死に物狂いで頑張った。
結果、なんとか超法規的措置で跡を継ぐことが認められた。
これで、ほっと一安心!(^○^)
と言いたいところだが、そうウマくいかないのが世の常。
せっかく、強引な丸め込みで跡継ぎにたてた、この周宗が実は病弱。
なんと、14歳の若さで亡くなってしまう。(>_<)
跡継ぎが途絶える=お家断絶
末期養子(まつごようし)という制度はあるけど、段取りにはいろんな制約がある。
まさに伊達家存続の危機!(14歳の周宗には当然、子供がいないわけだからね)
そこで、また伊達家の重臣オールスターズが活躍する。
家老の中村景貞(日向)はまず、伊達家ネットワークを使い重村(羽生君が演じた人ね)
の末弟で幕府の若年寄だった堀田正敦と連携し、「周宗公は生きている!」キャンペーン
を展開した。(このキャンペーンは3年間におよぶのです)
周宗は生きているんだから、あたりまえのように毎日食事の用意もされていたと
伝えられている。
そうして3年後、斉村の異母弟の徳三郎を10代斉宗として藩主に立てることに成功した。
中村日向はこの功労に対して斉宗からお給料を上げてもらった(千石の加増)。
幕府もこの周宗が亡くなったことは、実は知っていたんだけど、大藩の仙台藩を
容易に取り潰すことを躊躇(ちゅうちょ)したっていうこともあるし、当時の幕府は幕府で
放漫な政治体質だったみたいです。(ピリッと感が薄れてしまったんだろね)
まあ、この手の話はほかの藩にもけっこうあったようで、それを調べてみるのも
けっこう面白いんです。(末期養子で調べるとイイかも)
お家断絶になり、別の藩主が赴任したり、天領(幕府の直轄地)になったり、
はたまた別の藩と天領が混在したり(栃木県かな)したところがある中で、
伊達家は無事存続して良かったね!
あらためて「伊達家重臣オールスターズ」にあっぱれ!です。!(^^)!
と言えるのかもしれないですね。!(^^)!