「東北一の歓楽街」、「眠らない街」としてもはや全国に
その名を知られている「国分町」。
実は、この町は伊達政宗が岩出山から仙台に城を移し、仙台開府を
したときに誕生した街なのである。
江戸時代は「こくぶんまち」とか「こっぷんまち」と呼ばれた。
では、どこから「国分」という名前を持ってきたのかというと、
その昔、仙台一帯は「国分胤道」を開祖とする国分氏が治めていた。
仙台城が築かれた青葉山にも「千代」と書いて「せんだい」と呼んでいた城があった。
伊達氏が治めるまで、仙台地方を407年間統治していたのは国分氏だった。
ところが、伊達政宗のおじいちゃんである晴宗(例の略奪婚の人)の時に、
伊達家のお家芸、「戦わずして家を乗っ取る作戦」が開始され、晴宗の子供
盛重を国分家の養子にして国分氏を見事に乗っ取ってしまったのです。
のちに盛重は政宗との関係が悪化。日立の佐竹を頼って出奔してしまう。
でも、国分ってもともと「陸奥国分寺」周辺が領地だったので「国分」を
名乗っていたわけで、この地名はとってもプレミア感があった。
ちょうど仙台開府のとき、国分氏に仕えていた陸奥国分寺あたりの半農半武士
半農半商人の人々が国分町を取り立ての際、商人となって移り住んだので
「国分町」と呼ばれるようになったんだとか。
城下の伝馬町として栄え、馬市が盛大に開かれていたそうですよ。(^○^)
今も昔も賑やかだった国分町、下地はすでに出来ていたんですね。
今や仙台には欠かせないスポットです。!(^^)!