戊辰戦争により、朝敵となってしまった仙台藩。
結局、大きな戦果も挙げることが出来ずに
早々と降参してしまう。
このとき仙台藩の優秀な藩士がたくさん
詰め腹を切らされてしまいます。
(この仙台藩の戊辰戦争のくだりを本で調べると意外と面白い!)
そして、時代は明治へ。
仙台藩は敗戦藩の汚名を受けることになり、
62万石→28万石にに減らされてしまいます。
結局、生活できなくなった一部の藩士は蝦夷(北海道)
へ渡り、開拓地へ夢を繋ぐことになるわけです。
(今の伊達市なんかはそういう方達が作った街なんです。)
藩から県になり、最初は「仙台県」だったわけですが、
朝敵になった雄藩を連想させるということで、県名の変更を
余儀なくされます。昔から「宮城野」と呼ばれた地域ということで
「宮城」が第一候補にあがりました。
しかし、宮城(きゅうじょう)=宮の城=天皇の住むお城という
ネーミングとかぶるからまずいんじゃない?という意見も
ありましたが、OKが出て今の「宮城県」に改まりました。
今の面積の宮城県になったのは明治9年8月21日のことでした。