戊辰戦争・明治維新・その後の仙台藩 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

戊辰戦争により、朝敵となってしまった仙台藩。

 

結局、大きな戦果も挙げることが出来ずに

早々と降参してしまう。

 

このとき仙台藩の優秀な藩士がたくさん

詰め腹を切らされてしまいます。

 

(この仙台藩の戊辰戦争のくだりを本で調べると意外と面白い!)

 

そして、時代は明治へ。

 

仙台藩は敗戦藩の汚名を受けることになり、

62万石→28万石にに減らされてしまいます。

 

結局、生活できなくなった一部の藩士は蝦夷(北海道)

へ渡り、開拓地へ夢を繋ぐことになるわけです。

(今の伊達市なんかはそういう方達が作った街なんです。)

 

藩から県になり、最初は「仙台県」だったわけですが、

朝敵になった雄藩を連想させるということで、県名の変更を

余儀なくされます。昔から「宮城野」と呼ばれた地域ということで

「宮城」が第一候補にあがりました。

 

しかし、宮城(きゅうじょう)=宮の城=天皇の住むお城という

ネーミングとかぶるからまずいんじゃない?という意見も

ありましたが、OKが出て今の「宮城県」に改まりました。

 

今の面積の宮城県になったのは明治9年8月21日のことでした。