このお題を掲げてしまうのは、大変勇気のいることです。
なぜなら、黒の甲冑に身を包み戦場を縦横無尽に駆け巡った
伊達政宗の軍勢。その勇猛果敢さは誰もが認めるところです。
ところが、結論を先に言ってしまうとこれがそれほど強くない。
これは私の私的見解だが、ドラゴンボールでいうところの
天津飯かひょっとするとヤムチャぐらいだったのではなかろうか。
(ドラゴンボールを知らない人、ごめんなさい。)
例えば青年期、大きな合戦と言えば「人取橋の戦い」と「擦上原合戦」ぐらい
前者は勝敗が付かずに敵が勝手に引き上げたし、後者は寝返ったものが
いて蘆名は戦う前から内部崩壊していた。
大崎・葛西一揆はある程度勝算があったし、関ヶ原の時の上杉勢には
結構苦戦して手を焼いている。
大坂夏の陣では、真田幸村(信繁)軍に1km近く押し返されている。
極めつけはその夏の陣で、德川方として参戦した神保相茂(大和7千石)の
軍に味方のはずの伊達政宗の鉄砲隊が一斉射撃!神保軍は全滅している。
もう、何がなんだか分からない伊達軍団。でも、朝鮮出兵の際には
天皇と秀吉の前で一世一代のパフォーマンス(パリコレね)に打って出る。
そのド派な艶やかさから「伊達者」という言葉が広まったという逸話も。
どちらかというと、政宗さんって内通者による裏切り・黒ハバキ組による
情報攪乱など外交手腕によって勝利するパターンがほとんどだったのです。
(血を流さないという点では、評価できますかね)
まあ、70歳まで生きたからレジェンドとしてのブランド力がアップしたんでしょう。