伊達政宗の代名詞である「独眼竜」という異名。
実際には、政宗が存命の時には「独眼竜」という呼び方はされていないのです。
明治34年に発行された「独眼竜政宗」が最初と言われています。
とは言え、5歳の時に疱瘡(今でいう天然痘)にかかり、右目を失明したというのは
多少の政宗フリークの方ならご存知の話。
天然痘は発症すると体中に発疹ができ、40度以上の高熱が続く病気です。
もちろん、当時は予防接種や治療法もなく、かかった人の半数は亡くなりました。
幼い政宗は数日間、生死の境をさまよったわけです。
(ちなみに、豊臣秀頼も天然痘にかかっています。)
右目を失明した政宗は自分の容姿を恥じて人目を避け、次第に心を閉ざすように
なりました。(今で言うところのひきこもりだね)
家臣たちからは後継者失格の烙印を押され、片目では世の中の事も半分しか
見えないだろうと陰口を叩かれるようになりました。
(いつの時代もそういう輩はいるものです。)
こういうとき、もっとも心の支えであって欲しいお母さんの義姫にも距離を置かれてしまいます。(のちに政宗は「母は見舞いに来てもいっさい私に話しかけなかった」と話しています。)
でも、そんな悲嘆にくれていた政宗に救世主が現れるのです。